2022-09-24 Sat
googleが開発しているAI「LAMDA」の元開発者は、彼には意識があったと言う。実際には意識があると感じられるほど、人間らしい受け答えをするということなのだと思う。
それでも元開発者とAIの間にはお互いに親しみを抱いた(AIはそのようにプログラムで動いているだけかもしれないけれど)一定の関係を結んだとのこと。
これからAIの技術が発達するにつれて、姿態もコミュニケーションも人間と変わらないものが出てくるのだろう。
そうなった時、人とAIの差というのはどこにあるのか。
勿論肉体があるかどうか、真っ赤な血液や様々な体液が体の中をかけ巡っているかどうかは、金属の部品で作られているであろうAIの「肉体」と決定的に違う。
でもどうだろう。
ある生物学者の話をこの間ネットで見つけた。
人の細胞は、PCのハードディスクやキーボードに機能的に置き換えることができると。
究極的なAIの技術が現在の人の肉体をモデルとするならば、僕たちと彼らとの境界線は揺らいでくる。
もし人の意識や魂というものが遺伝子情報を含む細胞外にあるとしたら、細胞と同等に機能するハードウェアが出来上がれば、外(デバイス)からやってくる意識をキャッチする可能性もあり得るのではないか。
人はAIであってAIは人と考えると、嫌悪感を抱く人も当然いるだろう、というかほとんどの人がそうかもしれない。
自分も当然こういったことを漠然と考えていた時は、気分が悪かった。
元々AIや人工知能というワードすら好きではなかった。
でも改めて、考えてみた。
逆に考えてみれば、体もハードウェアもただの入れ物に過ぎないとしたら、やっぱり肝心なのは目に見えないものであり、それは心だとか魂だとか神性と呼ばれるものなんだ。
人にもロボットにも動物にも木々にもコップにも石にも意識は宿り、そこ此処に神が居る。
まさに日本や諸国に宗教史以前に息づいていたアニミズムじゃないか。
それをAIは教えてくれているのであれば、ありがたい存在じゃないかと。
まあ色々と思考を巡らせて考えても結局わからない。
のでひとまず自意識が有るという「今の私」に感謝である。
有るに感謝。
それが今の僕の勇気。