2020-09-22 Tue
「気の持ちよう」という言葉がある。目まぐるしく動いていく時代の只中にある昨今、この言葉がふつふつと頭に湧いてくるのだ。
ネットやテレビ、ラジオ、雑誌、隣人からの見聞、一つの物事に対する回答として、今や100通りの答えが返ってくる。
どれが正解で不正解なのか、最早誰にも分からないことがほとんどだ。
あらゆる答えの中から、取捨選択してそれぞれが自分の腑に落ちる事柄を探す。
でも一体自分が選択する答えとは何だろう。
なぜ、自分はその答えを選択したのか。
おそらく遺伝的な要素、自分の生い立ち、受けてきた教育、印象的な出来事などなどが関係してくるのだろう。
そういう事が頭の中で縦横無尽に駆け巡り、「それ」を選んでいるに違いない。
裏を返せば自分にとって最も理解し易い「それ」を自ずから定義づけていることにもなる。
こうなってくると自分も容易く信用できない。
ぐぐぐ。
しかし。
そこで「気の持ちよう」だ。
不確かな自分と答えのない「それ」の間で、「気の持ちよう」は気休めから自分が内包している世界を一変させるまでのマントラにもなり得る。
要は、怖いと思えばかぼちゃも怖いし、美しいと思えばドブネズミでも美しい。
これは、これからの時代にめちゃくちゃ重要になってくる気がする。
アーメン、ラーメン、ひやソー麺。
2020-09-15 Tue
本当に分かり合える人たちと仲良くなりたい。なんとなく「つながっている」てのはもういいよね。
ぼくは聖人を目指すのは辞めたね。
地球のバランスを取ろうとしたりね。
そういうのはもう、お疲れだね。
2020-09-13 Sun
コロナウイルスの騒動が始まってから1年弱。各々が各々の考え方で、向き合って来ているのだと思う。
それをとても恐れる人、まったく馬鹿げたことだと思う人、何となく周りと同調する人、何にも考えずただそれ自体がないように生きている人。
自分も考えをもって、それに従い生活をしてきた。
考えの行き違う人は離れていくのかもしれない。
それもよし。
ある人の「真実の追求」はまたある人の「おせっかい」になる。
ある人の「思いやりと配慮」はまたある人の「足かせ」となる。
そんなところに止まっているつもりはない。
50億分の1としてただ、普通に思うまま生きていくだけだ。
2020-09-10 Thu
去年の冬、所沢と清瀬の境にある小金井街道の橋の上でエンストしてから、車のメンテナンスの重要さを痛感した。朝方だったし、それでなくとも交通量の多いとこなので大渋滞になりかけたけれど、幸運にも後ろの車両に道路横の工事現場の親方が乗っていて、職人の人たちに声をかけてもらい、みんなで車を押して現場の敷地に入れてくれたので助かった。
感謝と申し訳なさから、財布にあった諭吉さんを取り出して親方に渡そうとしたが、「こういうのはお互い様だから」と受け取らなかった。
昭和のダンディ。
惚れる。
そんなこともあり、自分でできるとこは自分でやってみよう。
と思うようになった。
ウォッシャー液、冷却水、エンジンオイルの適正量確認。
バッテリー液の確認と消耗状態の確認、交換。
素人でも半日あれば何とかできる。
ちかごろ物には心(感情)はないけれど、精神(命)は宿るではないかなと感じている。
車、部屋、机、椅子、やかん、包丁、楽器。
物を大切にして、物の精神状態をメンテナンスしてあげれば、そこに住まい、それを使う自分の精神もおのずと正しいとこに戻っていく。
そんな考えもおもしろいなと思っている。
