2018-03-26 Mon
また朝がやって来た。快適なテント泊であった、それも今日まで。
明日の朝の便でジャパーンに帰るため、今日の午後にチェンマイに戻らなければならない。
本当に、あっという間だ。
今度はもっとゆっくりしたいなと思う。
すばらしき場所であった。
さてと、
感傷に浸ることもそこそこにして、ラストブレックファーストを体内摂取するため、アラウンドを彷徨う。
広場の奥にフランス人がやっているサンドイッチやさんを発見。
チェンダオ山を眺めながら、おいしいパンを食べる。
隣では、ロングヘアの白人がボブディランのdon't think twice it's all rightを歌っている。
いい朝だぬ〜。
そうだ、チェンダオ市街の市場で買ったマンゴーが残っているのを思い出した。
ナイフがなかったので素手で剥いてたべる。
タイでは一日一マンゴーが基本である。(前章女史曰く)

「パンとコーヒー、まつり会場のたべものはとてもおいしい」
マンゴーを貪り食らったのち、テントに戻り荷をまとめ、受付へ向かう。
バックを担いで歩いていると、みんなが微笑んで、good byeをいってくれる。
これで今生さようなら、かも、でも地球のどこかでまた会えるかもね。
そんなセンチメンタルなメッセージが含まれている気がした。
何だか卒業式の花道を思い出した。

「テントが近くだったナイスカップルの女性が撮影してくれたすてきなシャンバラのハイライト」
受付で毛布などを返却し、スタッフの人たちにサヨナラを言い、新たな参加者を乗ってやって到着したソンテオを捕まえて、会場を後にする。
he po pa 、どうもありがとう。
また会う日まで。

「サヨナラダケガジンセイダ」
ソンテオは20分ほどでバスターミナルに着き、そこから大型バスで1時間半揺られてチェンマイに戻る。
行きの車中では、トウモロコシの熱&虎の恐怖&ギータの不安で参っていたが、帰りは特段トラブルもなく快適であった。
前の席に座っていた民族衣装のおばちゃんが終始スマホで、何者かと密に連絡を取り合っていたのが印象深い。
バスは予定通りカリフォルニアダンディと会ったチェンマイ市街北部のバスターミナルに到着し、ソンテオと徒歩でゲストハウス に向かう。

「文明社会へ帰って来た」
チェックイン前の時間だったが、疲れていたので余分に料金を支払い、早めにチェックインてもらうことにした。
中庭が広めで居心地が良さそうだ。
部屋もこぎれいで風通しもいい。

「ゲストハウスにたどりつきうれしそうな表情を隠しきれないタイを旅行中の女性(西東京在住):2018年撮影」
少し休んだ後に、夕飯を近くで食べる。
人間はいつも食べるところを探してうきうきしたりいらいらしたりしている。

「ヘブン」
そして昨日のまつり会場で日本人女史と約束したバーに向かう。

「向かう途中で見つけたコインランドリーの広告 セクシーな女性が洗濯してくれるかどうかは時間の都合で未調査だ」
夕方の渋滞中の橋を渡っていると、後ろから女史がママチャリでやって来た。
なんだか生活感丸出しで最高だ。
バーはこの橋が架かる川沿いにあるらしい。
女史曰く、薄っ汚い何でもない川だけど夜なら薄っ汚いのも見えないからまあまあイケるよ、とのこと。
夕日も沈みかけており、僕らが飲み始める頃には、丁度よくまあまあイケるゴールデンタイムの時間帯だ。

「まあまあイケる川」
ほどなく到着し、店内に入る。
18時ごろだったと思うけれど、たくさんの人で賑わっている。
タイ人もお酒すきなのだな。
川に近いテラス席を見つけて、そこで乾杯。
チェンマイの生活、日本の生活、今までの旅、これからのことなど色々話をした。
海外でロングステイしている女史と話をする中で、生活の拠点をいくつかに分けるというのも面白いなと思った。
もちろん自分は日本国籍である限り、否応なく日本が第一拠点なのだけれど、各国の各ビザを調べて自分が適用される制限の中で、一年の生き方を探って行くのも楽しそうだ。
女史もあと一ヶ月後にジャパーンへ帰国とのことだが、冷蔵庫には未だ豊富に麦酒が残っており、果たして一人で消費しきれるかどうか非常に憂慮されている。
愚生らは女史の麦酒sの完飲とエキゾチックジャパーンでの再会を切に祈りながら、さようならをした。
コップンカー。

「酔って撮った川と川沿いのバーやレストラン 手ブレはすべて森山大道風ということで誤魔化す」
橋を渡り、タイマッサーを受け、ゲストハウスに帰る。
明日帰ります。
あしたのうちにかえれるのは、とてもはやいこうせいのうのひこうきのおかげです。
ぐー。
2018-03-21 Wed
朝、眩しい陽の光で目が覚める。昨晩は、思いの外寒くなく快適に眠れた。
テントの下にチェンダオの街で買ってきたゴザを敷いたのも良かった。
橋を渡って水道へ行き顔を洗う。
今日も良い天気になりそうだな~と思いつつ敷地内をフラフラしていると、手を振って女性が駆け寄ってきた。
「来ちゃった!」と80年代メロドラマ風な発言で登場したのは、何とチェンマイ空港で出会った日本人女史である。
シャンバラまつりで演奏するという事を話していたので、来てくれたのだ!!
中流階級出身(本人自称)の女史御一人でよくぞ、この山奥までお越しになられた。
とてもうれしい。
その後、まだ愚生たちの演奏までには時間があったので土管温泉に案内した。
午前中だったので比較的空いており、暖かい土管を選び放題だ。
※土管の湯加減の仕組みについては前章を参照されたい
まったりと足湯で悦に浸る。
なんだか辺境の地で日本人三人で足湯につかっていると、縁というのは面白いなと感じてくる。
旅に出て一番得られるものは、やっぱり人との出会いなのだろう。
さて、ぼちぼち演奏の時間も迫ってきたので、会場に戻り準備。
テントの外で軽く音合わせしてから楽器を持って出かけた。
ステージへ向かう途中、円になって寝転んでいる白人の集団を発見。
近づいていくとみんな笑っている。
笑いヨガだ。
高らかに気持ちよさそうに笑う者もいれば、引きつりながら己を鼓舞するかのように笑う者もいる。
そうか、やっぱり黄色人種であろうが、白色人種であろうが、引きつり笑いとはみな同じような調子なのだな。
人間だもの。
愚生は引きつり笑う白人を生まれて初めて見たことの余韻に浸りながら、夢うつつでステージへ向かった。
そして10分前にはセッティングを終了し、いざ演奏。

「突如現れる笑うゲリラ集団、というのがあってもいい」
ステージからはチェンダオ山と広い空が視界に入る。
昼下がりの穏やかな空気の中で、祈りを込めた演奏は終了した。
聴いてくれた人達、スタッフの方々、どうもありがとう。

「ウィーアーマメフタツフロムジャッパン」
楽器を撤収し、レディーとソムタム(パパイヤのピリ辛サラダ)&チェンマイ珈琲で女史と再会を祝う。

「おいしいコーヒーの入れ方は日本人のアキコさんに習ったとのこと、生憎愚生はアキコさんと面識がない」
チェンマイでの暮らし、日本での暮らし、今まで旅した国の話などを女史から聞く。
人の数だけそれぞれの生き方があるんだなと思う。
自分が自分に求める生き方、将来の地球や自然環境に求められる生き方を得られるように、物事を選択していくのがこれからの我が課題だ。
明日、チェンマイに帰ってからおすすめのバーで乾杯することを約束し、サヨナラをした。
夕方、土管温泉の隣にある貸切露天風呂がある有料温泉へ行くが、満員とのことで本日も土管へ浸かる。
行くのが少し遅かったせいで少し寒い。
また暖かい湯の土管をget出来なかったこともあり、湯から上がるとかなり寒くなってきた。
その上、水着のままで来たので、このままビショビショで帰るのはまじできつい!!
と思ったので、帰りに再度、貸切風呂の空きを訪ねると入れてくれた!
求めよ!さらば与えられん!!
頭をしっかり洗えて、すっきり。
体もポカポカだ。
となりの川では牛も水浴びをして、すっきりしている。
よかったね、わたしと牛。

「奇跡の泉」
ありがたき心をもってまつり会場へ戻り、ベジパッタイやカレーなどを食らいながら音楽を楽しむ。
ディジュリドゥとハンドパンのユニットや、スラップギターとカホンのコラボなどなど多国籍で多彩な音色のステージだ。

「ファイヤーダンスのすてきなおねえさん」
空には本当にたくさんの星が見える。
オリオン座の周りにこれだけの星があったのかと感動した。
そんなこんなで本日も平和な夜が更けていくのであった。
2018-03-12 Mon
チェンダオの街からソンテオに乗ること約15分、シャンバラまつりの会場であるキャンプ場に到着した。入り口のゲート付近には参加者と思われるヒッピー風の異国の民が大勢いる。
このまつりは日本人が主催しており、スタッフはほぼ日本人だが、参加者は世界中津々浦々からやってくるようだ。
受付でチェックインを済ませて、毛布と寝袋をレンタルする。
レンタル寝袋は最後の一個だったようで助かった。
タイと言ってもここは標高の比較的高い山の麓なので、朝晩は寒い。
会場内に入ると、芝地が広がっており、それを囲むようにしてステージや出店が並んでいる。
見上げれば、タイで三番目に高いチェンダオ山がひしひしと迫っている。
空気が澄んでおり静謐感のあるすばらしいところだなと感じる。

「空と山と雲、まつり会場」
本日は10日間に渡って開催されるまつりの初日で、時間も早かったということもあり、まだ会場内は混雑していない。
今のうちに日本からはるばる担いで来たテントを張れる場所を探すことにした。
うろついていると、先ほどソンテオで相乗りした日本人のナイスカップルが、会場内に流れる河の向こう側に静かな場所があるよ、と教えてくれたので早速行ってみる。
河に架かる小さな木の橋を渡ると、何かの果樹と思われる3~4mほどの木々が点在しているエリアについた。
エリアのはずれでは牛が草を食んでいたり、野犬が走り回っていたり、長閑である。

「きょうからここが我が家です」
風と陽避けになる適当な木を見つけて、その脇にテントを張った。
それから会場内をふらふらしていると参加者が続々と到着し、夕方にはテントでいっぱいになった。
早めに到着しておいてよかったな。
会場から歩いて5分くらいのところに温泉があるというので、夜の宴の前に行ってみた。
温泉場は河に併設されており、土管が7〜8個並んでいて温泉を引いたパイプが敷かれている。
一つの土管は大人3人くらいが入れる広さだ。
脱衣所はなく、水着を着用して老若男女、国籍、人種ごちゃまぜにお湯に浸かっている。
これは何ともピースフルなホットスプリングではありませんか!

「欧米人は横の川を水風呂代わりにして温泉と交互に浸かっている。欧米人はどこでも元気だ。冬に来日する欧米人はなぜTシャツでも平然としているのかという疑問に共通する行為だ。」
岩に服を置き、早速入る。
ややぬるいがまぎれもなく温泉だ。
しばらく浸かっていると、隣の土管の白人男性が、俺はもう出るからこっちに入れという。
そちらに移動すると、こちらの土管の湯のほうが暖かい。
なるほど、お湯の温度が異なるパイプが何本かあり、接続している土管がそれぞれ違うのか。
みなそれを知っているからか、丁度良い湯加減と思しき二つくらいの土管はずっと満員である。
まわりの土管からは、次にその土管が空いたなら我先に行かんっ!という熱い視線が注がれている。
譲ってくれた土管はまずまずの湯加減であったので、サバーイ(タイ語で気持ち良い)な土管を巡るインターナショナルな競争から脱落し土管を出る。
温泉大国日本の民として、岩風呂、砂風呂に続き土管風呂の入浴経験が我が経歴に輝かしく加わったのである。
満足しながらキャンプ場へとてくてく戻っていると、道の端に何やら落ちている。
近づいて見ると、それは物ではなく生き物である。
それも世界◯見えとか世界の果てまで行って◯とかでしかみた事ない輩だ。

「思わず手ブレするビビりショット」
戻るころにはもう陽も落ちて、お店やステージには明かりが灯っている。
お腹も空いてきたところで、タイ人のやっているベジフードのお店でパッタイを食べながらchangを飲む。

「おいしいパッタイをつくるおばちゃん」
ステージでは演奏も始まった。

「外で聴く音楽はいい。外で演る音楽は木や鳥も聴いている。」
大きな自然の中に囲まれながら、そんなひと時を過ごせることに喜びと感謝を感じながら、楽しく夜は更けていった。
2018-03-04 Sun
アカアマコーヒーから戻った後、荷物をまとめてチェックアウト。ソンテオを捕まえて、市街地の北側にあるバスターミナルへ向かった。
走ること約5分、ターミナルに到着。
5〜6台の大型バスがロータリーに停車している。
券売所でチェンダオ行きの切符を買い、バスに乗り込む。

「バス。おもってたよりきれいです」
ぬしのギータは席の網棚に積みなさい、と運転手のおっちゃんがいうので、恐る恐る入れてみるとすっぽり入った。
山道のカーブで落ちてこないとよいけれど。。
そんなことをしていると、テンガロンハットを被った胸部の露出度がやや高い白人の紳士が声をかけてきた。
「シャンバラへ行くのかい?おれもだぜ。まったく最高の気分だぜ。楽しく行こうぜ!」という感じで、オープンしたハートが丸出しである。
カリフォルニアから来たという彼は、シャンバラまつりには何度も参加したことがあるらしい。
話をしていると、今度はタイ人のおばはんAが大声で話しかけてきた。
どうやらこのバスは指定席で、愚生の座っているところはおばはんの席だったようだ。
「ソーリー、ソーリー」と言うと、おばはんAは英語を流暢に話し、自分の席の場所を教えてくれた。
チェンダオに行くと言うと、「オーケー、オーケー!あたいもチェンダオだから、降りるときに教えてやららいポーン!」とニコニコスマイルで言ってくれた。
優しきニコスマ・タイ・マダム。
ほどなくしてバスは満席となり、出発。
ここからチェンダオまでは約1時間半くらいだ。
バスには当然クーラーなど付いていないけれど、天井の扇風機と窓から入って来る風で心地よい。
ブロロロー、スイスイ。
渋滞もなく軽快にバスは進んでゆく。
途中でバス停に立ち寄りながら何人かの乗客が乗ったり降りたりしている。
座席指定であるのに、全然席数が足りていないので、常に5人くらいは通路に立っている。
席は2人掛の席に3人座っている。
丁度空いた隣の席にタイ人のおばはんBが着席した。
こちらもタイランドの由緒正しきニコスマダムである。
タイ語で話しかけられるが全然わからないので、こちらもニコスマイルを返しながら、うんうんと頷くと、おばはんは満足げに視線を前方へ向けた。
言葉が通じ合わない人たちと接するとき、意味がなんだかよく分からないけれど、伝えようとしていることに対して肯定的な態度を示すと、「私はあなたの言うことを尊重します」という最低限で最大限の意思のみは伝わるなと感じることがある。
とりあえず、YES。
ジョンレノンがオノヨーコの個展に初めて出向いた際、白い部屋の中には階段があって登って行くと、壁に「上を見なさい」と書かれていて、上を見上げると「YES」と書かれていた。
ジョンレノンは、これが「NO」とか他の肯定的でない言葉であったなら、即刻その場から立ち去り、ヨーコと会うこともなかっただろうと回想している。
「あなたは何処へ行くのかい?」
「YES。〜私は何処かへ行きます、あなたと同じように〜」
そんなことを考えていると、おばはんBがカバンの中から、ビニール袋に入ったトウモロコシをいそいそと取り出して食べ始めた。
ちょうどお昼時である。
優しいおばはんはこちらに向かって、食べるかい?とトウモロコシを差し出してくれる。
生憎お腹がいっぱいなので、お断りした。
おばはんBは食べ終えると、うつらうつら舟を漕ぎ始めた。
景色はだんだんと街から森へと変わって行く。
一抹の不安がよぎる。
そういえば、タイって虎いるんだっけ。
北部地方には虎がでるということを聞いたことがあったような、なかったような。。
やや不安な気持ちでいると、何やら太ももが熱い。
見ると、おばはんBの手に握られたトウモロコシ入りのビニール袋が左太ももに密着しているではありませんか!
先ほど申したように、2人掛けの席に強引に3人で座っているので、ほとんど身動きが取れない状態なのだ。
いつまでこの状況が続くのであろう、おばBはぐっすりとおひるね中である。
先ほどまで涼しかった車内も、日が昇りやや暑くなってきた。
それにつけてこのトウモロコシとは、我が精神の不調を来すに値する。
さらに山道の急勾配と急カーブが拍車をかけて、網棚のギータが落ちてこないか気が気ではなくなってきた。
いや、血に飢えた虎の熱い舌に、左太ももを舐められるのに比べればこんな状況まだマシだ!と己を奮い立たせ耐えることにした。
遠い異国の見知らぬ土地を、色々と耐えながら走っていると、山道を抜けてちょっとした街へ差し掛かる。
ひょっとしてここがチェンダオかな?
ほどなくすると、街中のバス停に停車。
バスのアナウンスなども特にないので、ここが何処なのかよく分からない。
まあアナウンスがあったとしても、タイ語なので分からないのだが。
降りそびれたら面倒なことになるな、でもまあ、わしにはニコスマおばはんAが教えてくれるから大丈夫だし。
とやや余裕ある心持ちで窓の外を見ると、あれ、おばAが見えるでは有りませんか!
そしてシャンバラ常連のカルフォルニア出身のテンガロンハットを被った胸部の露出度がやや高い白人の紳士も見える!!
やっぱりここがチェンダオなのね!!!
あのう、全然教えてくれないではありませんか!!!!
急いで、網棚のギータと重いバックを担ぎ、只今出発せんとするバスから飛び出すように下車した。
おそるべしタイ・オバ。
そこからは、カリフォルニアのおっちゃんと、同じバスに乗車していた日本人のシャンバラ参加者の人たちと、ソンテオをチャーターし、市場などに寄りながら会場へと向かったのである。

「胸部紳士がオススメする市場。」

「タイのマンゴーとバナナはうまい。」
ちなみにタイではたまに野生の虎が出没するようである。
ぶるぶる。
つづく