2020-10-30 Fri
ビートルズが全員菜食主義者だったってことは、案外みんな知らない。それだけじゃなくて、ジョンはハウス・ハズバンド(主夫)の先駆けで、息子のショーンが産まれて何年かはギターに触れず家事ばかりやっていたみたいだし、ポールはビートルズ解散後にリンダと一緒にスコットランドの牧場で有機野菜を作ったり山羊を飼ったりしながら、防音設備のない納屋でレコーディングしたりして半農半Xをやっていた。
70年の初頭。
今、日本でようやく芽吹いてきた潮流をとんでもなく早く先取りしていたわけだ。
肉や乳製品を止めてから足掛け五年目。
苦しいことより、嬉しい、楽しい、美味しいと想うことが不思議と増えた。
感謝することも。
日々の自分の行いが自分自身に、他の命に、土地に還元されているのなら幸いかなと思う。
どうもありがとうございます。

2020-10-26 Mon
温泉が恋しくなる季節と言われれば夏より冬と答える人が大多数だろう。うちの近くもよい温泉がいくつかある。
温泉の記憶。
初めて温泉というものに浸かったのは、4歳か5歳くらいの頃だ。
父親の会社の慰安旅行について草津(だったと思う)に行ったのが最初だ。
おぼろげな記憶を辿ると、硫黄の強烈な匂いと、露天の岸壁にこびり付いたぬるりとした黄土色を思い出す。
そして、大勢で裸になり、同じ湯に浸かる状況を奇異に感じていたような気がする。
それからいくつもの温泉に入ってきたけれど、いわゆる観光客向けではない地元の人が入りに来る温泉というのが面白い。
父親の出身が鹿児島で、その関係でたまにそちらへ帰る際に地元民しか来ない温泉、というより名目は老人健康センターに付帯する温泉に入りにいく。
湯気の中で半分も分からない会話に耳を傾け、話しかけられないか少しドキドキし、それでもなんだか落ち着いてきて湯気の中に少しずつ微睡んでゆく。
そんな感じが好きだ。
そういう歌を何年も前に作った。
2020-10-13 Tue
台北に行ったのは3年前だ。龍山寺(ロン・シャン・スー)というお寺の近くを定宿に、ここぞとばかりに素食(台湾のベジタリアン食)を食べ歩いた。
旅に出ると思う。
何をするでもなく道の端に座り込んでいる人。
気の無い客引きの声。
マーケットが放つごちゃまぜの匂い。
街に飲み込まれまいとする往来のけばけばしい電飾。
窓から漏れる食器の音。
そんな一切が僕の知らないところで移ろっていて、僕が去った後も勿論、変わらず移ろっていくんだなと。
ただそれだけの当たり前のことが、心揺さぶるほどに感じられるのは何故だろう。
今、僕たちが求めているものがあるとしたら、それは旅かもしれない。
2020-10-11 Sun
人は数字に縛られている。よく思うことだ。
数字という概念が人類に見出されたのは何時なのか、何処なのか知らない。
エジプトとかその辺だろうか。
それはどうでもいいのだけれど、とにかく「文明の進歩」というものに比例してひとはますます数字に縛られていくように思う。
目覚まし時計、バスや電車の時刻表、チャージ残高、会社や学校の出席日数、コミュニティ内での評価点・売り上げ額、などなど数え上げたらキリがない。
音楽だってそうだ、小節数、テンポ、音階、周波数。
技術が進歩するってことは、要は複雑な数値化が起きているってことなのではないか。
1という数字が1-1と1-2、でもあることが可能となり、さらに「進歩」して1-1-1、1-1-2、1-1-3と1-2-1、1-2-2、1-2-3であることが実現される。
一見選択肢が増えて便利なようだけれど、それを把握して管理していくほうがよほど骨が折れることに気付いてゆく人も少なくないだろう。
こんな終わりのない追求が今の世界におけるメインストリーム、というよりあるべき姿と決定づけられているようだ。
僕は、数字によって人は不幸になる。
とまでは言い切れないけれど、そういう側面があるように思う。
勿論その逆の場合も沢山あるとけれど。
目覚まし時計をかけずに布団に入り、朝日の輝きとともに目覚め、田畑を耕し、腹が減ったら飯を食い、暗くなって物も見えなければまた眠ろうか。
無い物ねだりとわかりつつ、そんな時代に生きた人を羨ましくも感じる今日この頃。
それでもいったい、たった今から、数字に散々矯正された現代人の生活から、僕らが抜け出したとしたらどうだろう。
数字というギプスが外れた僕たちは、しっかりとその足で、堂々と地面に立っていられるだろうか。

「電子機器を用いた録音も数字だ」