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■プロフィール

MAMEFUTATSU

Author:MAMEFUTATSU
TORU(Vocal/Acoustic Guitar)とARISA(Piano,Keyboard/Chorus)による音楽Duo。

2015年7月、結成。
これまでに3枚の作品をMUGENLIFE MUSIC RECORDSより発表。
全作品はitunes等各配信サイトより配信中。
2024年5月に4thアルバムを発表予定。

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ホイアン紀行文(7日目)
今日はホイアン滞在の最終日である。

朝ごはんを調達しに、いつぞや見かけた屋台のバインミー屋へ向かう。
屋台に着くと、やや派手めなピンクの服のおばちゃんがいて、ささっと作ってくれる。
屋台の前に椅子を出してくれて、そこに腰掛けて食べた。
おばちゃんの後ろには息子と思われる20歳前後のぽっちゃりした男の子が椅子に座っている。
どうやら目が見えないようだ。
食べていると、自転車で50歳前後のイケメン白人男性が現れ、バインミーを注文したあと、男の子の隣に腰掛け話している。
この街に住んでいるのか、長く滞在しているのか、常連客のようだ。
調子はどうかい?というような感じで肩に手を置いたりしており、おばさんも気を許しているようだ。
2~3分ほどしてまた自転車で去っていった。
何だかその一瞬の光景が素敵でもあり羨ましくもあった。
やっぱり僕たちは旅の途中で通り過ぎていく者であり、この街に流れる日常に少しばかり居候させてもらっているんだなと感じた。

IMG_8555.jpg
「おばちゃんと息子のバインミー屋」

その後旧市街のほうへ歩いていき、川沿いのカフェに入る。
中にアップライトピアノがあり、ベトナム人の男性が弾いている。
その後、少しだけありさ氏が弾かせてもらった。
中々いい音で、調律もされているようだ。
店員に聞くと、日本のピアノでATLUS(アトラス)というメーカーのものだという。
後日調べると、既に倒産しており生産されていないとの事。
ホイアンの郊外には17世紀の朱印船貿易時代の商人「谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)」という人の墓がある。
江戸幕府の貿易禁止令により帰国を余儀なくされたが、現地に残した恋人への再会を望み、再びホイアンへと向かったがその途上で亡くなったらしい。
現在その墓は地元の住民の方々が日越友好の証として管理と供養をされている。
外国への渡航が文字通り命がけだった時代から数世紀、夢の途上で倒れたかつての日本人と、海を渡ってやってきたピアノの音が重なって聞こえた。

IMG_8556.jpg
「ピアノのあったカフェからの眺め」

それからふらりとお寺に入って、休憩。
天井が高く装飾された石床で作られ催事などで大勢の人が集まれるように作られた空間があったので、片隅で鍵盤ハーモニカを録音させてもらった。

IMG_8559.jpg
「お寺でrec」

旧市街近辺もこの一週間で概ね歩きつくした。
路地裏を歩き回って、この街の人達の生活を少しだけ垣間見せてもらった。
ほとんどの人は自分の「帰る場所」があり、家がある。
自分がその土地やそこにある物、住む人々との関連性が高ければ高くなるほど、「帰る場所」となってくる。
そして人は「帰る場所」に守られ、時に縛られるのだ。
僕らは旅に出て終わりが見え始めると、帰りたくないという思いに駆られる。
くすんだ現実に戻りたくないのである。
今回、旅の終わりに差し掛かって帰りたくないという思いが薄いのは、小さいホイアンという街の狭い範囲で行動し、僅かな日々の中でも生活の反復性を見出したからかもしれない。
朝起きたらバインミー屋や食堂に行きフォーか何かを食べ、昼は街中の同じ道を歩きまわって録音などして、疲れたらお気に入りのカフェに行く。
旅という特殊な時間軸の中に、曲がりなりにも規則的な折り目を付けたことで疑似的な日常を作れたのだと思う。
それもおしまいだ。
明日はこの街を離れ、ハノイに向かいトランジットののち、東京へ向かうのだから。
それでも、やっぱり現実って何だろうと思う。
例えば、あくせくと脇目も降らず勤続40年間働いてきた人が、退職や解雇されたある日を境に突然解放されるという時がある。
また、運動選手が怪我をして打ち込んでいた競技を辞めざるを得なくなったり、信頼していた人や愛する人が理由なく離れていったり。
境界線がはっきりとしている場合もあれば曖昧に薄れていく場合もある。
劇的な変化が自分の身に降りかかったとしても、例え明らかに自認している境界線が引かれていても、どちらも現実には変わりがない。
そういう意味では、旅に出ている自分と帰る場所に居る自分のどちらがより現実的かという問いは意味を成さない。
場所は何処であれ、それぞれに生きている時間の流れの中に、どういう音を鳴らすのか、どんな色を落とすのか、能動的あるいは受動的に。
その流れが出来るだけ濁らないように、そして流れの最後にはまた静寂と澄んだ透明に帰るように心の奥を流れる水脈を感じていれば、どんな現実も自分の中に取り込めるような気がしてくる。

最後の夜は、ホテル近くのレストランで食事し、旅の終わりに乾杯した。
素敵な現実を、ありがとうホイアン。
この旅の最後を、愚生の書いた「彼の島」という曲の歌詞から抜粋して結びたいと思う。

”なるべくここが何処なのか
分からないようにふわふわ歩く
終わっちゃいないのに懐かしい
そんな旅にまた出会えるように

遠くなる
昨日までの出来事
近くなる
それが未来への証明”

IMG_8569.jpg
「最後んサイゴンビール」

7日目終了。
ホイアン紀行(完)


テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

旅なんです | 09:52:07 | コメント(0)
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