2023-02-01 Wed
今作っている作品に、急に子供の声を入れたくなった。公園にでも録りに行こうか、と思った時にふっと思い出した。
何年か前、鹿児島にある父親の実家に行った際、亡くなった祖父の軍歌&演歌カセットコレクションの中に紛れていた一つのテープ。
「子供達のオシヤベリ」と書いてある。
それだけ抜き取ってそのまま押し入れにしまったままだった。
緊張しながら、おもむろにカセットデッキにテープを差し込む。
数秒の無音の後、荒い音質の中から祖父母の声と子供達の声、食器の当たる音、テレビのニュースが流れている音が聴こえる。
どうやら祖父母の家に子供達だけで泊まりに行った時の食卓の様子らしい。
話から推測すると、おそらく自分が5歳くらいだろう。
亡くなった祖父が蘇ったように、懐かしい声で話している。
そして、自分で自分の声をこんなにも忘れてしまったことに驚いた。
この祖父は大事な時に、何らかの霊的メッセージを僕にくれる。
これは、録音・録画好きだった祖父から僕への数十年ぶりのプレゼントだ。

2022-12-18 Sun
今年最後のライブを山梨県丹波山村で終えた。ここ最近のライブで感じたことは、自分たちは集まってくる人やその場所が持つエネルギーを媒介して始めて完成するのだなと。
一定度のテンションとクオリティーを維持することができたら、そのあとは人任せ、場所任せ。
それでいいんだな。
カタルシスをキャッチできるかどうかは、自分たち次第でもあり、お客さん次第でもある。
2022-10-15 Sat
僕たちは、不思議なほど自分が生まれる前の事を憶えていない。何処に居て、誰と居て、何を感じていたのか。
そもそも意識を持ったのが今回が初めてであるならば、勿論憶えていないだろう。
記憶自体が無かったのだから。
そして、これから否が応でも受け入れる死について。
死は意識の終わりなのか。
永遠という終わりのない「時間」の中に、僕たちは消えてしまうのか。
それとも、覚醒したり喪失したりを繰り返しながら、やっぱり永遠という「時間」の中を揺蕩い続けるのか。
いずれにしろ、混沌とした大海原の海面に、頭ひとつ分浮かび上がることができた今という限られた瞬間である。
惰性に過ごすのか、本当に為すべき事を模索するのか。
答えは二つに一つだ。
そんなことをつらつらと思うサタデーナイト。