2019-12-30 Mon
気づけば年の瀬だ。1日の終わり、一ヶ月の終わり、一年の終わり。
人は、得てして節目ごとに我が来た道を振り返りたくなるものです。
実りのある時を過ごした人も居れば、思うように物事が運ばなかった人も居るでしょう。
運命の出会いを果たした人も居れば、惜別の時を見送った人も。
そんな風に思いを巡らすことができるのは「今ここにこうして生きて居られるから」、という文句も浮かれ調子の言葉ではないはずだ。
アフォリズム。
体に感謝。
己の体を自分のものと思っちゃいけない。
未熟で不摂生な心が生み出す百と八つの煩悩に絶えず振り回されながら、東へ西へ今年も駆けずり回ってくれました。
手については、毎日茶碗を持ったり、キーボードを打ったり、ギターを弾いたり、細かな作業を愚痴も言わず実に良く働いてくれた。
足は、行ったり来たり、立ったり、座ったり、止まったり、漕いだり、飛び越えたり、こんがらがったり。
目、鼻、耳、口、その他臓器各位。
今年も大変お世話になりました。
そして今年もお世話になった方々、出会った方々、皆様にも、ありがとうございます。
来年もよろしくお願い致します。

2019-12-20 Fri
東京近郊の町へ出掛けることが多い。山や海、農村風景に心を癒される。
空気も良いし、水もきれいだ。
こんな所に住んでみたい。
もう都会はたくさんだ。
。。。
。。
。
ここからが大事にしたい気持ちである。
都会の暮らしに疲れて、救いを求める想いで郊外へと居を移す。
それも一つの選択における重要なポイントだ。
実際、都会というのはある種の狂気の中で生きているようなものだ。
道はアスファルトとコンクリートに埋め尽くされ、木々はレンガで囲まれた道路と歩道の緩衝用ツールとして「機能」させられている。
車から出る排気ガスや工場の煙は、僕たちの体の中に常に侵略者として受け入れられてきた。
生まれた時から。
目に見えない電磁波は、完全無欠な細胞を小刻みに揺さぶって摩耗させていく。
生きることに代償を払わなければならない。
それは自分たちが作った幻想の貸しなのだけれど。
今できることは、今在る場所を愛する事から始めたい。
ネガティブな想いで行動を起こした時間軸には、モラトリアムの要素が含まれてしまうのではないか。
先延ばしにしてしまった本当の自由。
期限付きのパライソ。
これから何処へ向うのか、わからない。
それでも魂は、避難民ではなく、開拓者としての僕たちを欲している。

2019-12-13 Fri
前日から出掛けようと心に決めて、起きた朝が寒かった。外へ出るタイミングを逃したまま正午を回ってしまうともう、出掛ける気分は萎えてしまう。
そんな日には、真逆の追想だ。
いつかの夏。
暑さは空から降ってきて、ニュータウンの整然とした区画街路を隈なく敷き詰めていった。
学期が変わって唯一出来た友達は、家族と長い旅行に行ってしまった。
人気のない公園を横目に見る。
姿が見えない蝉の合唱だけが、この世界の存在証明。
フェンスに触れながら、登校するときの2分の1のスピードで歩く。
何だか手が白く汚れてしまった。
小学校の正門は、固く閉ざされている。
裏口へ回ると、門が開いている。
車が2台、砂利の上に駐車してある。
誰か先生が来ているのかな。
あたりを見回して、そっと門の中へ抜ける。
ふ。
校舎の壁からなるべく離れないように、時計回りに校庭のほうへ回る。
ベランダのコンクリートの段差が何だかふしぎだな。
終業式のあと、持ち帰るのを忘れた誰かの植木鉢が一つ。
少し後ろめたい気持ちで、ガラス窓を覗く。
誰も居ない教室。
校庭へ出るための昇降口は、日が当たらなくて涼しい。
静かに、風が吹く。
ああ。
あと半月と5日後には、みんな本当に帰ってくるのだろうか。
僕は何だか遺跡の中にいるみたいだ。
むかしここにみんながいた。
みんなといた。
少年の日の夏。

2019-12-08 Sun
未だ見たことはないけれど、自分が子供の頃には無かった3Dや4Dといった映画が沢山上映されているようだ。3次元の世界の中で、3次元を体感するという少し奇妙なアトラクションではある。
日常では経験することができない嗜好体験を脳に与えて快楽を得るのは、平々凡々な我々の日常においてそう悪くない娯楽なのではないか。
宇宙に行ったり、タイムスリップしたり、恐竜の居るジャングルを駆け回ったり。
非日常。
非現実。
有り得ない疑似体験をする自分。
これが例えば、アクション映画などではなく、もっと現実的な、日常風景を切り取ったドラマになるとどうだろう。
現実の自分にも起こりうる事象、それを3Dで俯瞰する。
あっちの世界でも紆余曲折、七転八倒、何だか見たこと聞いたこと体験したことがあるような人生をやってるじゃないか。
ああここは見たことがある街だな。
見つめる世界とこちら側の現実世界の境界線が揺らいで、薄れる。
テクノロジーが発達し、仮想現実があらゆる分野において生活に取り入れられてきている昨今。
人は常にリアリティがどこに既存しているのかを確認しながら生きていく必要が少なからず出てくるのではないか。
それは3Dスクリーンの中じゃなくて、PCやスマホのディスプレイの中じゃなくて、「嘘みたいに本当な」空や大地を見つめる眼の中で生まれるものだ。
僕は電車の中で、静かに窓の外を眺めて、物思いに耽っている人が好きだ。
2019-12-07 Sat
hummingbird。エレキからアコースティックに持ち替えて、初めて購入したギターだ。
かれこれ10年ほど、今でもライブのメインギターとして使っている。
先日、安曇野で行われたライブイベントの出店者さんで、東京の学芸大学から来られた珈琲屋さんと出会った。
「hummingbird coffee」
何となく、親近感を持った。
話してみると、オーナーは物腰の柔らかい素敵な方だ。
珈琲と人と音楽に対して、丁寧に向き合っている人なのだなと感じる。
リハーサル前に頂いた一杯の珈琲で、心と体が温められた。
それから暫くして、学芸大学のお店を訪れた。
時の流れを感じさせてくれるアパートの一角にあるカフェ。
広くて狭い東京の街で、きちんと僕の身一つ分のスペースを確保して居てくれたかのように、居心地よく、すっぽりと体が納まった。
店内では、オーナーの縁あるミュージシャンの音が、珈琲から立つ湯気の間を糸を引くように静かに流れていた。

2019-12-03 Tue
半年ほど前の明け方、夢から抜け出す直前でアナスタシアという言葉を聴いた。とても気になったので、起きてすぐネットで検索をかけてみた。
・ヨーロッパ語に見られる女性名。
・原義はギリシャ語で「目覚めた/復活した女」。
・ロマノフ朝時代の皇帝ニコラス2世の第四皇女。
なんだかピンとこなかったので、そのまま放っておき、その内に忘れてしまった。
先日、九州に移住した幼馴染と一年ぶりに再会した。
生活の話、音楽の話、意識の話。
大人になれば、考えたい事も考えたくない事も色々だ。
会話が途切れたふとした時に、
「アナスタシアって知ってる?」
あ、これかなと瞬間的に夢での出来事を思い出した。
友達って面白いなと思う。
特に少年少女時代に同じ場所で、同じ空気と水で育った人達は。
