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■プロフィール

MAMEFUTATSU

Author:MAMEFUTATSU
TORU(Vocal/Acoustic Guitar)とARISA(Piano,Keyboard/Chorus)による音楽グループ。

2015年7月、結成。
2016年9月、初音源集「SOUNDSCAPE」を発表。
2019年2月、2st「I Will Never Die」を発表。
2022年11月 3rd「Country driver」を発表。
全作品はitunes等各配信サイトより配信中。

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心のどこか
同じ瞬間を生きているだけで、勇気づけられる人たちが居る。

そんな人たちと接することで、自分の生が深く感じられる。

心のどこかでつながっていてくれて、ありがとうございます。

テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

徒然なるままなんです | 20:41:34 | コメント(0)
時間について
時間について、もし時間というものがないとしたら。
そもそも時間ていう認識はいつから始まったんだろう。

旧石器時代に生きる僕たちの祖先(と言われている)は既に時間認識があったのだろうか。
wikiによると「暦が使われたのは最終氷期の狩猟採集社会においてであり、棒や骨などを使って月の位置と満ち欠けを観察したのが始まりだった」とある。
けれど、これは「時間は進んでいる」という認識を持っていたかは別の話になりそうだ。
僕たちが「時間は進んでいる」と認識するのは、やはり記憶の蓄積による判断なんだろう。
20年前の冬は、北海道に居た。
10年前の夏は、沖縄に居た。
そして今年の春は、山梨に居る、というように起きた事象から現在までの経過を捉えて、過去として認識している。
何もこんな事つらつら書き出すほどのことではないのだけれど。

ひとつの乱暴な仮説として僕はこうも思う。
まず大前提として完全に揺るがないものは「今」だ。
その「今」が過去を刹那的に作り出しているとしたら。
つまり起こったと思っている事柄は、全て一瞬一瞬の僕たちの意識が作り出している。

たまにこんなことがあると思う。
昔遊んだ公園が大人になってきてみると、思ったより小さかった。
これは子供が身体的にも小さく、肉体的経験も少ないので実際より事物が大きく見えていた、という説明もつく。
けれど逆説的に言えば、「子供だから大きく見えたのだろう」という印象をもった過去を、今の自分が作り上げている可能性も0%ではないのだろう。

そう捉えると、少し前に何か建物が建っていた場所が空き地になっていたとして。
それが何の建物だったか、どうしても思い出せない。
もしかしたら、古い仏具商店だったような気がする。
そのイメージをたよりに妄想を膨らませていくと、もはやそこに建っていたのは仏具商店でしかない。
つまり過去は書き換え可能でもある可能性が出てくるのだ。

そんなことを考えていると、未来というのは「今」という現実の瞬間瞬間が作り出す妄想の結果なのかもしれない。
僕はこの何年か、イメージすることは案外簡単に叶うのではないかなと思っている。
実際、そうだからだ。
それは過去も未来も、今という現実に帰結するイメージとして捉えることが重要なのかなと感じている。
すてきなイメージをね。

テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

徒然なるままなんです | 21:20:29 | コメント(0)
やったー
録音してみて、既存のトラックに重ねてみて、やっぱりいらなかったなという事もある。

けれどそれは無駄な労力と時間ではなくて、「いらないということが分かった」大事な作業だ。

と思えるようになったので、去年より少し成長したのである。

この考えを応用すれば、全ての物事に当てはまり、無駄な事はこの世から無くなるのである。

やったー。

バッチグー。


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徒然なるままなんです | 20:40:22 | コメント(0)
フィーリング
例えば録音しようとか、ライブで歌おうとかすると、もう逃げてしまうんだと思う。

神様のフィーリングみたいのが。

だから結局一人で家でなんとなくやっているのが一番いい演奏だと思うわけ。

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音楽活動なんです | 21:15:12 | コメント(0)
横尾さん
画家の横尾忠則さんが、「見えるものと観えないもの」という対談集の中で、作品は発表なんてしなくてもいい。ということを言っていた。
誰かに向けて絵を描くとしたら、例えば恋人が喜んでくれればそれが一番、社会が相手だと片思いみたいなもので、向こうは決して愛してくれない、向こうが愛してくれる唯一のものって何かっていうと神様、という。
作品を他者に向けるということについて、いったい自分たちは何に対してやっているのだろう?と話し合ったり改めて考えていたので、安心した。

考えていたことへの回答が、数日後に本の中で現れるという事が続いている。
人生の中で霊性というか直感力というか目に見えない力が高まる時期が気付いているにしろ気付かないにしろ誰しもあると思うのだけれど、数年ぶりにまた高い波が来るんじゃないかなと予感しているこの頃。
にゃー。

ps.画像の写真は本文と関係なく、先日の夜ご飯の餃子です。歌rec→洗車→お店で珈琲入れたり→車塗替のための養生作業→餃子包み、というハードワークの後矢作洋酒のワインで撃沈しました。

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徒然なるままなんです | 20:24:16 | コメント(0)
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