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■プロフィール

MAMEFUTATSU

Author:MAMEFUTATSU
TORU(Vocal/Acoustic Guitar)とARISA(Piano,Keyboard/Chorus)による音楽グループ。

2015年7月、結成。
2016年9月、初音源集「SOUNDSCAPE」を発表。
2019年2月、New Album「I Will Never Die」を発表。

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新しいもの
近頃は、なるべくシンセサイザーの入っていない音楽を選らんで聴いている。
シンセサイザーが嫌いなわけではもちろんないけれど。
やっぱり懐古主義的な人間なのだなと我ながら思う。

新しいものをつくるのには、先人に習え。
というが、新しいものってあるのだろうか?
音楽でも、小説でも、演劇でも、建築でも、料理でも。
それらを構成する要素や道具や素材は同じで、ただそれらを組み合わせるパターンが違う。
そう言うものを今では、新しいというのだろう。
べつにニヒリズムでも耽美主義でもない。
きっと、そういうものなのだという思いがある。
オリジナリティー。
アイデンティティー。
誰かが話していた言葉を借りてきて、つなぎ合わせて、これは「自分の言葉」であるという。

遺伝子コード。
塩基配列。
アデニン (A) 、グアニン (G) 、チミン (T) 、シトシン (C) 。
これらの組み合わせが違うから、違うように見えている。
でも、元はみな同じ。

それって素敵。

【購入履歴2021/03/05】
CABARET / ELLA FITZGERALD WITH TOMMY FALANAGAN TRIO
CHIKEN SKIN MUSIC / RY COODER
THE GAUGUIN YEARS SONG AND DANCE OF TAHITI / FRANCIS MAZIERE
ELI AND THE THIRTEENTH CONFESSION / LAURA NYRO
JAZZ GUITAR / JIM HALL
MILTONS / MILTON NASCIMENTO

最近のcd



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徒然なるままなんです | 20:43:52 | コメント(0)
春めいて
春めいてきた。

庭の芝に少し緑色のものが混じるようになってきた。

昼時にはパスタの皿を持ち出してベンチで食べる。

春になったら来客も多くなりそうだ。

待ち遠しい春だ。

今月は九州は熊本県八代市に演奏に行ってくる。

九州の友達にも会う予定だ。

あなたには、どんな春が待っていますか?



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徒然なるままなんです | 18:31:11 | コメント(0)
良い一日を
日本国内で医療従事者からワクチンの摂取が始まった。

これを覗きにきてくれている親愛なる方々。

YouTubeで「キャリー・マディ医師 元動画の転載」と検索してください。

今日の時点で削除が始まっているようですが、良識ある方が転載しています。

ここで医師が語られている事が今、起こっている真実に近いと思います。

受け止め切れないかもしれないけれど、どうか一度見てください。

この動画で医師が話しているようにmRNAワクチンは一度打ったら、同じ体には戻れません。

どうか、よろしくお願い致します。

最後まで見てください。

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徒然なるままなんです | 19:56:19 | コメント(0)
まいくろふぉん NEUMANN TLM103
NEUMANN TLM103を試し中。

DAW上の波形で見ると、ランク下のマイクより音の情報量が多く見える。

しっかり詰まっている感じ。

粒が揃って聞こえて心地よい。

ノイズ少ない。

当然、楽器の鳴りにもよるけれど、キラキラしすぎそうなところの手前で留まっている。

ありがとう。

正義の味方。

アンパンマン。

じゃなくてノイマン。

のいまん







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音楽活動なんです | 15:00:04 | コメント(0)
ゴミ
いろんなところで買い物をすると、品物は包装紙というものに包まれている。
最近では大手のスーパーやコンビニなどでも、ビニールの買い物袋の必要有無が選択できるなど、ごみを減らす取り組みが広がっている。

ゴミというものはそもそもなんだろう。
ゴミの由来について調べると、元々農家が「木の葉」をゴミと呼んでいたことが語源らしい。
それが近代において、役に立たないものという意味で色々な物の総称として使われるようになったとか。
では、いつからゴミという認識が生まれたのか。
少なくとも、文明開化前の人類にとって元々ゴミという概念はなかったのだろう。
いや、マンモスを倒す銛が古くなって使えなくなったら、「ゴミ」として捨てていたかもしれない。
それでも、現在の僕たちの捉えているゴミの感覚とは違う物だったはずだ。
僕たちの「ゴミを捨てる」という感覚は、「抹消する」とか「奥深くに半永久的に隠す」みたいな感じが近いのではないか。
でも猿人類たちはもっと自然な、「投げる」とか「放っておく」みたいな感じだと思う。
もっと言うと、「自然に還す」か。

これは直感的な意見だが、現代人は環境に対する予備知識があろうがなかろうが、本能的に現代の感覚として捉える「ゴミを捨てる」行為に対して、無意識にストレスを感じていると思う。
それが子供であっても。
だからゴミが多くなればなるほど、捨てるストレスを抱え込むことになる。
一度持ってしまったものは、捨てなければならないから、そこで発生するストレスは通過儀礼として受け入れざるを得ない。
要はゴミを増やさないには、持たないに越したことはない。
まあ容易くそれが出来ればよいのだけれど。
それでも、物質的なゴミについては、ゴミ置き場に置いておけば清掃車が来て焼却場へ持っていって捨ててくれる。

では、心のゴミはどうだろう。
これは自分で処理しなければ、誰も持っていってくれない。
しかもこれは、中々燃やしても燃やしても、燃えてくれない不燃ゴミである場合が多い。
さよならするコツは、やはり先人に習うべきかと思う。
抹消しようとか、隠し通そうとかいう意識ではなくて、自然に還す。
何処かからやってきた感情が自分の中で行動や衝動を生んだ。
それもやがて過ぎ去って、体を抜けていき、土や空に帰る。
そうして自分と世界が残っている。



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徒然なるままなんです | 21:14:14 | コメント(0)
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