2020-05-28 Thu
東京を出てから一週間と少しが経った。ここは本当に静かだ。
昼間に聞こえる音といえば、隣の葡萄畑で作業するおばちゃんが聴くラジオの音声くらいだ。
夜は静寂という言葉が嘘臭くない。
静寂の海の上に浮かぶ明かりと音の島々。
そこには1日ねぎらう団欒の夕べがあるのだ。
こちらへ来てから、東京で作っていた曲を概ね完成させた。
音楽は、その土地の匂いや空気というものを反映することができる。
勿論、そういった外的な事象に(敢えて)左右されないという立場の人もいるかと思うけれど。
自分の場合は、音のほかに詞があるので、あまりそれらに寄り添い過ぎないように注意する。
特に詩については、必要な気がする。
かといって意識的に言葉を取捨選択して書くこともないのだけれども。
例えば一つの街を表現するときには、どれくらいの規模の街で、海が近いのか山が近いのが、地形がどうなっていて緩やかな坂が多いのかその逆なのかなど、そういった情景を単に書き連ねるのではなく、それらの情景を聴く各々が自ら「想起」するような体で書くのがよいのではないか。
「坂を登っていく」より「平らじゃない道をいく」という仕方のほうが文体として面白みが増すような気がするし想像の選択肢も拡がってくる。
兎にも角にも、近頃想う表現の理想としては、「何だかよく分からないんだけど、なんだか、なんとなく、いいな。」という所に落ち着くものである。
カテゴライズというカッコー良い言葉があるけれど、自分自身や聴き手が明瞭に分類できない不可解なものこそ、表現の触手を伸ばす鍵になるのではないかと思います。