2022-06-12 Sun
子供の頃に外の世界を知覚していた意識と、今の意識。何かが違っている。
何が違うのかといえば、子供の頃の方が「現実感」というものが強かった気がする。
変な言い方だけれど、目の前にあるリンゴを、「これは今、確実に目の前にある!」
と深く感じられていたというような。
だんだんと大人になるにつれてそれが薄れていくような気がして、戸惑ったことがある。
感受性が低くなったのではと言われれば、それだけの話かもしれない。
それもそうだ。
でも、それだけでもないような気もする。
ここ数十年のうちに、情報技術は瞬く間に発達した。
携帯電話やインターネットからスマホ、3Dテレビ、ホログラムなどなど。
音楽だってビットレート数(音の解像度)がどんどん高くなり、まるで目の前で演奏されているかのような臨場感をイヤホンから味わえる。
これらは、今居る場所から離れた人や物を繋いだり、現実にはあり得ない事を現実に限りなく近づける事ができる。
大変便利で楽しい技術のようだけれど、僕の意識の問題はここにあるような気がする。
要はリアリティが、「今・目に見える範囲」から拡散・分散されてしまっているのではないか。
ふすま一枚隔てた隣の部屋の人との会話と、地球の裏側に住んでいる人との会話。
目の前で行われている演奏と、YOUTUBEの中の演奏。
すでにこの世に居ない人が、その時には建設もされていなかったステージに上がり歌う新曲。
二つの目で見るより青く高く広がるスクリーンの中の空。
人の聴覚では捉えうるはずのない鳥のさえずり。
テクノロジーは、確実に人の意識の現実と非現実を曖昧にした。
それでも今を生きる僕たちは折り合いをつけて生きていかなくちゃいけない。
「僕たちを忘れないで欲しい。」
時々、子供の頃の自分にそう言われているのかもしれない。
僕は子供の頃に見上げた空を見失いたくなし、次の世代もそうあって欲しいと思っている。
