2020-11-02 Mon
「わ」という言葉がある。「和」あるいは「輪」。
一人ひとりが手を繋いで、「わ」になる。
お互いを尊重し合い、認め合って理想的な関係を気付く。
それをみんな目指していたはずなのに、この頃どうもなんだかおかしい気がする。
優しさを持って、当然の如く「わ」の中に入っていったのに、その中でどうも息苦しい。
手と手を繋いでいながら、その繋いだ左右の手が何を考えているのか分からない。
「わ」になった円の中心には、轟々と燃え盛る火が迫っているのだけれど、だれも熱いそぶりは見せない。
だけど、熱いわけじゃなくて、その証拠に、滴る汗が額から吹き出ているのがわかる。
本当は熱いし、苦しい。
ここに来て、古い大きな「わ」は一度解体され、ぼくわたし「こじん」を見つめ直すことが大事なるのではないか。
一見逆行しているようだけれど、新しい「わ」を作り上げるのには、必然的な通り道。
主張するっていうのは本当は素晴らしいこと。
だけどそれもバランスが難しい。
声が大きくなり過ぎたり、ピッチがずれたり、早まったり、モタったり。
あなたの想っていることはわかります。では物足りなくて。
あなたの言っていることはわかります。でも自分はこう言いたい。では押し付けがましくて。
自分はこう思います。でもあなたの言っていることはわかります。
いたわり、やさしさ、思いやり。
まずは人一人分、自分自身を満足・納得させてから。
それがダメなら「わ」からドロップアウトしたっていい。
準備ができたら、おっかなびっくり自分の言葉でぼそぼそ言いながら、本当に安心出来た人と小さな「わ」を作っていく。
そこまで来てようやく初めての「わ」。
大きくするのはそれからだ。