2020-10-11 Sun
人は数字に縛られている。よく思うことだ。
数字という概念が人類に見出されたのは何時なのか、何処なのか知らない。
エジプトとかその辺だろうか。
それはどうでもいいのだけれど、とにかく「文明の進歩」というものに比例してひとはますます数字に縛られていくように思う。
目覚まし時計、バスや電車の時刻表、チャージ残高、会社や学校の出席日数、コミュニティ内での評価点・売り上げ額、などなど数え上げたらキリがない。
音楽だってそうだ、小節数、テンポ、音階、周波数。
技術が進歩するってことは、要は複雑な数値化が起きているってことなのではないか。
1という数字が1-1と1-2、でもあることが可能となり、さらに「進歩」して1-1-1、1-1-2、1-1-3と1-2-1、1-2-2、1-2-3であることが実現される。
一見選択肢が増えて便利なようだけれど、それを把握して管理していくほうがよほど骨が折れることに気付いてゆく人も少なくないだろう。
こんな終わりのない追求が今の世界におけるメインストリーム、というよりあるべき姿と決定づけられているようだ。
僕は、数字によって人は不幸になる。
とまでは言い切れないけれど、そういう側面があるように思う。
勿論その逆の場合も沢山あるとけれど。
目覚まし時計をかけずに布団に入り、朝日の輝きとともに目覚め、田畑を耕し、腹が減ったら飯を食い、暗くなって物も見えなければまた眠ろうか。
無い物ねだりとわかりつつ、そんな時代に生きた人を羨ましくも感じる今日この頃。
それでもいったい、たった今から、数字に散々矯正された現代人の生活から、僕らが抜け出したとしたらどうだろう。
数字というギプスが外れた僕たちは、しっかりとその足で、堂々と地面に立っていられるだろうか。

「電子機器を用いた録音も数字だ」