2020-09-22 Tue
「気の持ちよう」という言葉がある。目まぐるしく動いていく時代の只中にある昨今、この言葉がふつふつと頭に湧いてくるのだ。
ネットやテレビ、ラジオ、雑誌、隣人からの見聞、一つの物事に対する回答として、今や100通りの答えが返ってくる。
どれが正解で不正解なのか、最早誰にも分からないことがほとんどだ。
あらゆる答えの中から、取捨選択してそれぞれが自分の腑に落ちる事柄を探す。
でも一体自分が選択する答えとは何だろう。
なぜ、自分はその答えを選択したのか。
おそらく遺伝的な要素、自分の生い立ち、受けてきた教育、印象的な出来事などなどが関係してくるのだろう。
そういう事が頭の中で縦横無尽に駆け巡り、「それ」を選んでいるに違いない。
裏を返せば自分にとって最も理解し易い「それ」を自ずから定義づけていることにもなる。
こうなってくると自分も容易く信用できない。
ぐぐぐ。
しかし。
そこで「気の持ちよう」だ。
不確かな自分と答えのない「それ」の間で、「気の持ちよう」は気休めから自分が内包している世界を一変させるまでのマントラにもなり得る。
要は、怖いと思えばかぼちゃも怖いし、美しいと思えばドブネズミでも美しい。
これは、これからの時代にめちゃくちゃ重要になってくる気がする。
アーメン、ラーメン、ひやソー麺。