2020-08-28 Fri
自分や他人、環境や物事に対して、こうであらねばならない、こうであってほしいという日々の思いは、心の底にいつの間にか降り積もっている。気がつけば何年も、何十年も、ということもあるのだ。
そういう偏りを持った「意志」や「願望」は、コンプレックスやトラウマから来ていたりもするし、長い間忘れていて気に留めていなかったような記憶から来ているかもしれない。
良き思い出にしても、悪き思い出にしても、過去は開放されたいのだ。
人との関わり方が変化している今(根本は変わらないけれど)、自分自身に対して自分がどう関わってきたのかを省みたい。
今の自分がする行為に伴って現れる過去の記憶。
その行為は過去の奴隷となっていないか。
誰かが誤れば茶化すのは、自分が茶化されたからではないのか。
物が壊れれば物にあたるのは、物を大切にしなかった自分が原因ではないか。
誰かの意見が間違っていると思うのは、自分が自分の意見を受け入れられなかったからではないか。
そういった一切の記憶から自分を引き剥がして、まったく新しい自分、過去や未来にも影響を受けていない私に「再会」する。
やあ、久しぶり。
元気だった?
僕はこんがらがって。
君に会いにきた。