2021-10-04 Mon
子供の時と、十代の時と、二十代の時と、今と。時間の長さを捉える感覚というのは、必ずしも一定ではなかったと思う。
例えば、子供の時は一年がすごく長く感じたけれど、大人になるにつれてだんだんと短く感じるようになったり。
大人になってからだって、その日の長さの感覚はもちろん違う。
忙しければあっという間に過ぎ去るし、暇を持て余しているのなら時計の針はゆっくりだ。
きっと百年前、千年前の人々と現代人の時間を捉える感覚も異なっていることだろう。
時を遡れば遡るほど、人は時間というものに縛られない生活をしていたのではないか。
時間に縛られない分だけ、時間をゆっくり感じていた。
と思う。
今は、医療や衛生環境も発達して人の寿命は延びた。
実質的な時間は増えたのだ。
けれど、感覚としての時間は短くなっているのではないかと思う。
忙しい毎日に追われ時間に縛られることによって、一日、一時間、一分を想う時間の感覚は短くなる。
もしかしたら、例えば昔の人の寿命が現代人の半分であったとしても、感じていた時間は現代人のそれと同じか、あるいはそれ以上であったのかもしれない。
それってどちらが豊かな時間・人生なのだろう。