2018-03-04 Sun
アカアマコーヒーから戻った後、荷物をまとめてチェックアウト。ソンテオを捕まえて、市街地の北側にあるバスターミナルへ向かった。
走ること約5分、ターミナルに到着。
5〜6台の大型バスがロータリーに停車している。
券売所でチェンダオ行きの切符を買い、バスに乗り込む。

「バス。おもってたよりきれいです」
ぬしのギータは席の網棚に積みなさい、と運転手のおっちゃんがいうので、恐る恐る入れてみるとすっぽり入った。
山道のカーブで落ちてこないとよいけれど。。
そんなことをしていると、テンガロンハットを被った胸部の露出度がやや高い白人の紳士が声をかけてきた。
「シャンバラへ行くのかい?おれもだぜ。まったく最高の気分だぜ。楽しく行こうぜ!」という感じで、オープンしたハートが丸出しである。
カリフォルニアから来たという彼は、シャンバラまつりには何度も参加したことがあるらしい。
話をしていると、今度はタイ人のおばはんAが大声で話しかけてきた。
どうやらこのバスは指定席で、愚生の座っているところはおばはんの席だったようだ。
「ソーリー、ソーリー」と言うと、おばはんAは英語を流暢に話し、自分の席の場所を教えてくれた。
チェンダオに行くと言うと、「オーケー、オーケー!あたいもチェンダオだから、降りるときに教えてやららいポーン!」とニコニコスマイルで言ってくれた。
優しきニコスマ・タイ・マダム。
ほどなくしてバスは満席となり、出発。
ここからチェンダオまでは約1時間半くらいだ。
バスには当然クーラーなど付いていないけれど、天井の扇風機と窓から入って来る風で心地よい。
ブロロロー、スイスイ。
渋滞もなく軽快にバスは進んでゆく。
途中でバス停に立ち寄りながら何人かの乗客が乗ったり降りたりしている。
座席指定であるのに、全然席数が足りていないので、常に5人くらいは通路に立っている。
席は2人掛の席に3人座っている。
丁度空いた隣の席にタイ人のおばはんBが着席した。
こちらもタイランドの由緒正しきニコスマダムである。
タイ語で話しかけられるが全然わからないので、こちらもニコスマイルを返しながら、うんうんと頷くと、おばはんは満足げに視線を前方へ向けた。
言葉が通じ合わない人たちと接するとき、意味がなんだかよく分からないけれど、伝えようとしていることに対して肯定的な態度を示すと、「私はあなたの言うことを尊重します」という最低限で最大限の意思のみは伝わるなと感じることがある。
とりあえず、YES。
ジョンレノンがオノヨーコの個展に初めて出向いた際、白い部屋の中には階段があって登って行くと、壁に「上を見なさい」と書かれていて、上を見上げると「YES」と書かれていた。
ジョンレノンは、これが「NO」とか他の肯定的でない言葉であったなら、即刻その場から立ち去り、ヨーコと会うこともなかっただろうと回想している。
「あなたは何処へ行くのかい?」
「YES。〜私は何処かへ行きます、あなたと同じように〜」
そんなことを考えていると、おばはんBがカバンの中から、ビニール袋に入ったトウモロコシをいそいそと取り出して食べ始めた。
ちょうどお昼時である。
優しいおばはんはこちらに向かって、食べるかい?とトウモロコシを差し出してくれる。
生憎お腹がいっぱいなので、お断りした。
おばはんBは食べ終えると、うつらうつら舟を漕ぎ始めた。
景色はだんだんと街から森へと変わって行く。
一抹の不安がよぎる。
そういえば、タイって虎いるんだっけ。
北部地方には虎がでるということを聞いたことがあったような、なかったような。。
やや不安な気持ちでいると、何やら太ももが熱い。
見ると、おばはんBの手に握られたトウモロコシ入りのビニール袋が左太ももに密着しているではありませんか!
先ほど申したように、2人掛けの席に強引に3人で座っているので、ほとんど身動きが取れない状態なのだ。
いつまでこの状況が続くのであろう、おばBはぐっすりとおひるね中である。
先ほどまで涼しかった車内も、日が昇りやや暑くなってきた。
それにつけてこのトウモロコシとは、我が精神の不調を来すに値する。
さらに山道の急勾配と急カーブが拍車をかけて、網棚のギータが落ちてこないか気が気ではなくなってきた。
いや、血に飢えた虎の熱い舌に、左太ももを舐められるのに比べればこんな状況まだマシだ!と己を奮い立たせ耐えることにした。
遠い異国の見知らぬ土地を、色々と耐えながら走っていると、山道を抜けてちょっとした街へ差し掛かる。
ひょっとしてここがチェンダオかな?
ほどなくすると、街中のバス停に停車。
バスのアナウンスなども特にないので、ここが何処なのかよく分からない。
まあアナウンスがあったとしても、タイ語なので分からないのだが。
降りそびれたら面倒なことになるな、でもまあ、わしにはニコスマおばはんAが教えてくれるから大丈夫だし。
とやや余裕ある心持ちで窓の外を見ると、あれ、おばAが見えるでは有りませんか!
そしてシャンバラ常連のカルフォルニア出身のテンガロンハットを被った胸部の露出度がやや高い白人の紳士も見える!!
やっぱりここがチェンダオなのね!!!
あのう、全然教えてくれないではありませんか!!!!
急いで、網棚のギータと重いバックを担ぎ、只今出発せんとするバスから飛び出すように下車した。
おそるべしタイ・オバ。
そこからは、カリフォルニアのおっちゃんと、同じバスに乗車していた日本人のシャンバラ参加者の人たちと、ソンテオをチャーターし、市場などに寄りながら会場へと向かったのである。

「胸部紳士がオススメする市場。」

「タイのマンゴーとバナナはうまい。」
ちなみにタイではたまに野生の虎が出没するようである。
ぶるぶる。
つづく
2018-02-25 Sun
鳥の声に起こされて目が覚めた。のか目が覚めたら鳥の声が聞こえてきたのか。
どちらでも良いが、すこぶる心地よい目覚めだ。
窓を開けると朝の澄んだ匂いが立ち込めている。
東京の朝ならば、こうはいかない。
チェンマイでは当たり前な、贅沢な空気をいただく。
スウィーンスイスイ。
ははは、今日も笑顔で行こう。
や、地球が地球でよかったね、もう安心だ、ぼかアそんな気分さ。
すばらしい空気で満たされた心だが、空気だけでは不満足な我が胃袋に急かされて、昨晩も行ったBlue Diamondへ向かう。

「心地よい店内。店内?鯉がいます。取って食べてはいけません。」
さっそくフルーツとTOHUバーガーを注文。

「何か言いたいがなんとも言葉が出てこない。俺から言わせれば極めてアンニュイなイカしたやつだね。」
うまし。
モーマンタイ。
我が胃袋を沈黙の彼方に追いやったのち、チェンマイで由緒あるお寺の一つであるワット・プラシンへ向かう。
通りでソンテオを捕まえて走ること約10分で到着。
チェンマイ中心部には約1.5km四方の正方形でできた掘と城壁がある。
その中の囲まれた地域が旧市街地であり、大きなホテルやレストラン・バーなどが立地している塀の外側が新市街地である。
旧市街地にはお寺や古い住宅が多くみられ、それらを縫うようにして狭い路地が入り組んでいる。
地元の老人などはこの四角の中で大抵の用事を済ましているのであろうか。
昨日会ったロングステイ中の日本人女性の方もチャリがあれば大抵の事は済むと行っていた。
そんな街のサイズ感がとても気に入った。
日本のようないわゆる先進国は、インターネットシステムと配送ネットワークを駆使して経済的にグローバル化の一途を辿っていて、世界中のありとあらゆるものが1クリックで手に入る。
グローバル化は神のお告げだったっけ、くらいの勢いで政府も企業もこぞってグローバル化をあがめているように見える。
チェンマイの人たちがamazonみたいなのをどれくらい使っているかわからないけれども、日本ほどではないにしろ、ここだって例外ではないだろう。
それでも、徒歩やチャリで行ける範囲で成り立つ、自分の五感の働く範囲で得られるものに満足できる生活というのは、慎ましやかで素敵に思える。
何時迄もそんな場所や人々であってほしいと願うのは、それらの恩恵をモロに受けている小僧が思うのは傲慢であろうか。

「グローバルだろうがローカルだろうが木はどこの森でも街でも自由だ。」
さて、寺院の中に入るとちょうど朝のお勤めの時間であった。
奥にはタイらしいキンキンピカピカの仏像が鎮座し、左側には7〜8人のお坊さんが座っておられる。
仏像に近いほど位の高い人なのであろうか。
見た目では仏像に一番近い人が年かさで、だんだんと入口側に行くにつれて若くなっていくようだ。
しかし、お坊さんにも出世街道をゆく人と万年平社員的な人とがやっぱり居るのかしらん。
そしたら我輩は万年平坊主を積極的に応援したい。
構内には参拝に来る人たちのために椅子が20席ほど設けられており、椅子の下には何匹かの犬が寝そべっている。
お経の周波数がとても気持ち良さそうだ。
学校の研修か修学旅行と思われるジャージ姿の女学生がどっと入ってきたので、外へ出た。

「やや混雑した寺院。グラサンのおじさんは仏像が眩しいのであろうか。」
寺院の近くにタイ北部の山岳地域に多く住んでいるアカ族の村で栽培された珈琲を提供する「アカアマコーヒー」というカフェがあることを知り、立ち寄ってみた。
このカフェは、アカ族出身のオーナーが大学卒業後に村の活性化に一石を投じたいとの思いから始めたのだそうだ。
過ごしやすい乾季とはいえ、日が昇ってジリジリと暑くなり始めていたので、アイスコーヒーを注文した。
ここではアイスコーヒーに「ブラックジュース」というネーミングがついている。
かっこういい!
バンコクのワット・ポー近くにあったELEFIN CAFEでもそうだったが、グラスと瓶に入った珈琲がそれぞれ出てきて、各自好きな分注いで飲むというのが、タイの流行りみたいだ。

「ストローも使い回しができる金属でできたもの。さりげないオーナーの心意気が見えます。」
味はチェリーだろうか、やまももだろうか、とにかくフルーツのような甘酸っぱさとごく控えめな苦味であった。
初めて飲んだ味で、とても美味しく感動した。
そんなこんなでチェックアウト時間も迫っている。
今日はシャンバラまつりの会場へ向かわなくてわ!!
ソンテオを5バーツ値切り、ゲストハウスへ急いで戻る。
また値切ってしまった。
5バーツ=3.4円×5
いわゆる先進国からの旅人はこの体たらくである。

「シートの色はファンシーなエメラルドぐりーんで統一、運転手は40〜50代男性、行くわよ。」
つづく
2018-02-19 Mon
日が変わる少し前に羽田を出発し、朝方にクアラルンプールに到着した。ここからチェンマイ行の便へのトランジット(一時寄港)が6時間ほどある。
案の定、機内では快眠できなかったので、待合ロビーの椅子で少し眠るとしましょうか。
が、マレーシアの名物らしきまんじゅうみたいなお菓子の宣伝CMがテレビからロビーに垂れ流されており、ここでも中々寝付けない。
まんじゅうの生産工程を克明に記録した映像と、リコーダーが主旋律を奏でる軽快な4拍子の曲は、今も多くの旅人たちを悩ませ続けているに違いない。

「まんじゅう攻撃に嫌気が刺してカーペットと一一体化した人」
睡眠不足のまま、乗り継ぎ便の時間となり、出発ゲートへと足を運ぶ。
クアラルンプールからチェンマイまでの飛行時間は、三時間弱だ。
あっという間にチェンマイ到着。
たまたま隣の席になった日本人女性の方とソンテオと呼ばれる乗合バス(バスといっても6人乗りくらい)で空港から市街へと向かう。
女性は毎年チェンマイに三ヶ月ほどロングステイされており、クアラルンプールへの小旅行から帰ってきたとのこと。
日本の寒い時期の間、タイは丁度乾季であり雨も降らず暑過ぎず、とても過ごしやすいので、この時期を狙ってステイしに来ているのだとか。
途中でいささか陽気なエジプト人やパンクロッカー(ピストルズ世代)風のピアス紳士、善良な欧米夫婦をピックアップし、走ること15分程度で市街へと到着。
女性と我が人生で初めて話した記念すべきエジプト人らに別れを告げて、本日のお宿であるゲストハウスへと歩いて向かう。
広い通りから少し路地へ入ると、ふっと、静かになった。
トゥクトゥクの猛々しいエンジン音や、店先で飛び交う人々の声が遠ざかる。
小さな飲食店や雑貨店は、お互いを気遣うようにして並び、民家の少し広い庭には大きな木々が茂り、香しい花が風に揺れて咲いている。
鳥も歌っている。
チェンマイはいいところだな、と直感的に感じる。
初めて訪れるのに、何故か懐かしく感じられる街を、愚生は好きなのだ。
通りをゆっくりと歩いていく。

「これは人類の子供服では。やや苦しそうだ」

「お寺の木々と白い塀」

「まちなかにはハッとさせられるアートペイントによく遭遇する」
連絡した時間より少し早かったのだが、ゲストハウスの娘さんはスマイルで部屋に案内してくれた。
さっぱりした清潔感のある部屋だ。
窓から通りが見下ろせる。
こんがらがった電線、レンガの道に無造作に止められたバイク、カラフルで小さいお店の看板、軒先に垂れた木の枝と葉っぱ。
この街には、風のために、通り道がちゃんと空けてある。

「こんなところはさいこうだ」
バッグとぐるぐるギータを下ろし、一息つく。
それから、水圧をMAXにしても頭を洗うのに30分くらいかかる極省エネシャワーを浴び、遅い昼食&早い夕食をとるために夕方の街へ出る。
タイの日没は遅く、夜七時を過ぎてもとても明るい。
昼夜の長さと国民性はきっと関連しているに違いないと思っているのだけれど、そんな考察はまたの機会に考えよう。
今回はBlue Diamondというレストランへ入った。
チェンマイは欧米からのバックパッカーも多いらしく(バックパッカーはどこでも欧米人が多いけれど)、ベジタリアン・ヴィーガンが行くレストランがたくさんある。
街の規模とお店の密度で考えると、バンコクより断然多いのではないかな、といった印象だ。
こちらの飲食スペースは、建物内のほかに広い中庭にテーブルが設置されており、開放的な雰囲気。
みんなまったりと食事したり、本を読んだり、おしゃべりしたりしながら過ごしている。
また、野菜やケーキ、パン、調味料なども売っており、とても楽しい。

「たのしいおみせ」
さて、タイなので、とりあえずパッタイを注文。
甘辛の味付けにライムをかけて食す。
量が結構あったけれど、さっぱりしていて食べやすい。
それからアボカドサラダは新鮮・絶品であった。
バンコクでもそうだったが、TOHU(豆腐)を使った料理がここにも多い。
パッタイにも厚揚が入っていた。
ジャパニーズソウルフードすごいやん、グレイトやん!と感心しながら、わしゃわしゃと食べ、店をあとにした。

「西洋人が多いのか、パッタイにもパスタのようにフォークとスプーン」
それから、世界中何処まで行ってもついてくる○ブン○レブンにて見事に購買意欲をそそられ、ご当地ビールchangを購入し、いい気分で飲み干したのち、がばがば寝たことは言うまでもない。
明日は、チェンマイからシャンバラまつりの会場へ向かうの巻。
2018-02-19 Mon
タイへ出国する資格を得たのは、フライト当日の数時間前であった。数ヶ月前よりタイのチェン・ダオ近郊で行われる「シャンバラまつり」という音楽祭で演奏することが決まっていたのだ。
出発一週間ほど前には事前に必要なものを準備し、余裕しゃくしゃく(て言いませんか?)の状況で構えていたのだが、ふとあるネットの記事が目に止まった。
「タイへの渡航に際して、国際規定によりパスポートの残存期間は6ヶ月以上と定められています」との記述があるではないか!
一抹の不安がよぎる。
愚生のパスポートの残存期間は割とギリギリではなかったかしらん。
すぐに余裕しゃくしゃくの程で部屋の隅に鎮座しているバッグの中から我がパスポートを引っ張り出して確認してみると、6ヶ月を半月ほど切っているではありませんか!!
その時、頭の中に幼少の頃に見た、あるアニメの阿呆な主人公の記憶が走馬灯のように駆け巡ってきた。
阿呆な主人公は、商店街の福引で一等賞のハワイ旅行を当てて、狂喜のあまり周囲に言いふらすのだが、数日後にハワイへの旅行券を紛失してしまい、旅の工程日の間中、家の押入れに引きこもるというようなあらすじであった。
悠久の時を経て、その阿呆な主人公に今、成りつつある。
即座に、裏工作のプランが頭の中に立ち上ってくる。
今から井の頭公園界隈のアジアン雑貨店へ出向き、象の置物とヤシの木でできたスプーン等を買い求め、その足で池袋界隈の日焼けサロンへ出向き、こんがりと小麦色に肌を焼き、その足で新宿界隈の大手銀行へ出向き、ジャパニーズ・エンをタイ・バーツへエクスチェンジし、帰国日以降に知人との会食後における会計時、「あ、うっかりしてバーツで支払うところであった。うっかりちゃっかりごめんあそばせ。」などと小芝居を打つために備える。あとはネット上のタイの風景と我がポートレイトをフォトショップで合成し、、、。
幾ばくかの間、犯罪者的思考を頭の中で展開させたのち、我に帰った。
待て、まだわれに残された時間は一週間ある。
パスポートセンターに問い合わせると、パスポートの最短取得可能日数は土日祝日を除いて5日程度とのこと。
ネット上に申請日ごとの交付予定日が記載されており、確認すると出発日当日である。
幸いフライト時刻は23時なので、昼に取りに行けば間に合う。
どうやら阿呆なうっかりちゃっかり主人公を体現せずに済みそうだ。
そそくさと役所へ出向き、必要書類を取得したのち写真を撮り、井の頭公園界隈ではなく、池袋・新宿界隈ではなく、立川パスポートセンターへと急いだ。
窓口の婦人に、入念にパスポート交付日を確認したのち、「自分はギリギリの人間であり、それも若輩者である己が招いた不注意であるのですが、それ故どうか後生ですから、くれぐれも旅券発給の件、宜しくお願い申し上げます。あ、すてきなお眼鏡ですね。もしかしてタイ製ではありませんか。」などと己を卑下し、へりにへりくだり、帰宅した。
そして当日の朝、約束の聖地、立川へと急ぐ。
窓口で旅券引換券を渡すと、新たなパスポートが交付された。
これで愚生も国際人である。
パスポートには「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係諸官に要請する」と明記されており、外務大臣のお墨付きである。
わーい。
意気揚々と帰宅し、ぐるぐるまきの我がギータとお待ちかねのバッグを背負って、羽田へ向かった。
海外へは大概、成田空港から出発しており、羽田国際線ターミナルは久しぶりである。
出発ロビーの上部には、何やら日本橋なる木造の橋が掛かっており、日本っぽさ全開だ。
それならいっそ、街中の鉄橋もあんな感じに変えたらどうかしらん。
などど、こんな批評的な立場で居座っていられるのも、外務大臣及び立川の婦人及び関係各位のお陰様である。
そんなこんなで、日本食に暫しのお別れ、玄米おにぎりを食し、いざ出立。

「ぐるぐるまきのギータ」
2017-10-15 Sun
今日でタイともお別れである。起床し、荷をまとめ、タクシーでファランポーン駅へと向かう。
一番早く着く空港行きの便を聞くと、三等車だとのこと。
先日アユタヤへ向かう電車でややボロい二等車は経験済みである。
待機している列車に、ある程度覚悟して乗り込んだ。
車内には大きな段ボールを持ったおばあちゃん、制服姿の学生、迷彩柄の服を着た兵隊、白人のバックパッカーなどなど。
座席は自由席だが満員であるため、つり革に掴まる。
予想していたがクーラーはなく、天井に設置された扇風機が宿命的に生温い風を送りつけてくるのみである。
しばらく走ると、空港らしき大きな建物が見えてきたので、おそらく次が下車する駅あろうという感じで、降りる。
日本のようにご丁寧な社内アナウンスなどはない。
不親切と言えば不親切だが、車内構内どこもかしこも暴力的に増幅された音声が飛び交っていることもないので、おおらかといえばおおらかだ。
ま、とにかくそんなことも今日が最後である。
扉の横に座って人形のようなものを売っている貧しい身なりの老婆を横目に空港に入る。
流れるままにチェックイン、出国審査を終了し、あとは飛行機に乗って帰るのみ。
先日行った台湾の帰りの便では、二時間近く遅れての出発であったが、今回は定刻通りのフライトで出発できそうだ。
良きにせよ悪しきにせよ、旅には想定外な事が往々にして起こる。
けれども、それらも記憶の断片となって懐かしく思い出として回想する頃には、なくてはならなかった出来事になるのだ。
旅は人生。
人生は旅。
我が記憶に残って行くであろう出来事として起こり、葬り去られた出来事。
とりとめのない出来事として眠り、ある日突然思いも寄らず呼び戻された出来事。
そんなすべての記憶と現実の間で僕たちは日々を生きて、また記憶を生んでゆく。
この生産活動に減るという行為はない。
きっと忘れているだけだ。
愛のある記憶を生んでいきたい。
次にタイを訪れる際には、チェンマイを拠点に方々廻ってみたいと思っている。
コップンカー、タイ。
また会う日まで。
