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■プロフィール

MAMEFUTATSU

Author:MAMEFUTATSU
TORU(Vocal/Acoustic Guitar)とARISA(Piano,Keyboard/Chorus)による音楽Duo。

2015年7月、結成。
これまでに3枚の作品をMUGENLIFE MUSIC RECORDSより発表。
全作品はitunes等各配信サイトより配信中。
2024年5月に4thアルバムを発表予定。

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それぞれの深夜特急

沢木耕太郎さんの「旅のつばくろ」という旅のエッセイを読んで、また何処かへ行きたくなっている。

沢木さんを知ったのは、高校一年生の時だった。

何気なく本屋で手に取った「深夜特急」。

全てを放擲して、一年かけて香港からロンドンを終着地と定め旅に出た著者の自伝的紀行小説だ。

中々の長編小説だったが、一気に読み終えてしまった記憶がある。

随分と憧れを抱きながらも、彼のような数か国を跨ぐ長期間の放浪は出来ずに今に至っている。

旅というのは、出かける目的地や手段、季節など条件は同じであっても、旅人の年齢によって全く違うものになるのではないかと思う。

それは旅人の人生経験による感性の発動の違いでもあるかも知れない。

旅で起きる様々な事柄に対して、未経験な若者であれば新鮮さと共に様々な感情が駆け巡るだろう。

逆に年配者であれば、いつかの記憶を呼び起こして、起きた出来事と重ね合わせて帰らない日々に想いを馳せてみたりもするだろう。

だからそれぞれの世代でしか出来ない旅というのが確実にあって、それを解っていたからこそ、沢木さんは今ある仕事やら人間関係やらを放り投げて20代でしか出来ない旅に出たのだ、きっと。

ある年齢でしか成立し得なかった、しかしついに実現しなかった旅。

それを乗り遅れた旅と言い換える事も出来る。

だかそれも悪くはない、と最近は思うようになった。

乗り遅れた列車を追い掛ける旅というのは、やっぱり一度、乗り遅れなければ出来ないものだから。

そして出発のターミナルはいつでも僕達を待っている。



未分類 | 19:48:29 | コメント(0)
20240116
わたしはどんどん孤独になるだろう。
愛故に。


未分類 | 22:42:50 | コメント(0)
ホイアン紀行文(7日目)
今日はホイアン滞在の最終日である。

朝ごはんを調達しに、いつぞや見かけた屋台のバインミー屋へ向かう。
屋台に着くと、やや派手めなピンクの服のおばちゃんがいて、ささっと作ってくれる。
屋台の前に椅子を出してくれて、そこに腰掛けて食べた。
おばちゃんの後ろには息子と思われる20歳前後のぽっちゃりした男の子が椅子に座っている。
どうやら目が見えないようだ。
食べていると、自転車で50歳前後のイケメン白人男性が現れ、バインミーを注文したあと、男の子の隣に腰掛け話している。
この街に住んでいるのか、長く滞在しているのか、常連客のようだ。
調子はどうかい?というような感じで肩に手を置いたりしており、おばさんも気を許しているようだ。
2~3分ほどしてまた自転車で去っていった。
何だかその一瞬の光景が素敵でもあり羨ましくもあった。
やっぱり僕たちは旅の途中で通り過ぎていく者であり、この街に流れる日常に少しばかり居候させてもらっているんだなと感じた。

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「おばちゃんと息子のバインミー屋」

その後旧市街のほうへ歩いていき、川沿いのカフェに入る。
中にアップライトピアノがあり、ベトナム人の男性が弾いている。
その後、少しだけありさ氏が弾かせてもらった。
中々いい音で、調律もされているようだ。
店員に聞くと、日本のピアノでATLUS(アトラス)というメーカーのものだという。
後日調べると、既に倒産しており生産されていないとの事。
ホイアンの郊外には17世紀の朱印船貿易時代の商人「谷弥次郎兵衛(たにやじろべえ)」という人の墓がある。
江戸幕府の貿易禁止令により帰国を余儀なくされたが、現地に残した恋人への再会を望み、再びホイアンへと向かったがその途上で亡くなったらしい。
現在その墓は地元の住民の方々が日越友好の証として管理と供養をされている。
外国への渡航が文字通り命がけだった時代から数世紀、夢の途上で倒れたかつての日本人と、海を渡ってやってきたピアノの音が重なって聞こえた。

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「ピアノのあったカフェからの眺め」

それからふらりとお寺に入って、休憩。
天井が高く装飾された石床で作られ催事などで大勢の人が集まれるように作られた空間があったので、片隅で鍵盤ハーモニカを録音させてもらった。

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「お寺でrec」

旧市街近辺もこの一週間で概ね歩きつくした。
路地裏を歩き回って、この街の人達の生活を少しだけ垣間見せてもらった。
ほとんどの人は自分の「帰る場所」があり、家がある。
自分がその土地やそこにある物、住む人々との関連性が高ければ高くなるほど、「帰る場所」となってくる。
そして人は「帰る場所」に守られ、時に縛られるのだ。
僕らは旅に出て終わりが見え始めると、帰りたくないという思いに駆られる。
くすんだ現実に戻りたくないのである。
今回、旅の終わりに差し掛かって帰りたくないという思いが薄いのは、小さいホイアンという街の狭い範囲で行動し、僅かな日々の中でも生活の反復性を見出したからかもしれない。
朝起きたらバインミー屋や食堂に行きフォーか何かを食べ、昼は街中の同じ道を歩きまわって録音などして、疲れたらお気に入りのカフェに行く。
旅という特殊な時間軸の中に、曲がりなりにも規則的な折り目を付けたことで疑似的な日常を作れたのだと思う。
それもおしまいだ。
明日はこの街を離れ、ハノイに向かいトランジットののち、東京へ向かうのだから。
それでも、やっぱり現実って何だろうと思う。
例えば、あくせくと脇目も降らず勤続40年間働いてきた人が、退職や解雇されたある日を境に突然解放されるという時がある。
また、運動選手が怪我をして打ち込んでいた競技を辞めざるを得なくなったり、信頼していた人や愛する人が理由なく離れていったり。
境界線がはっきりとしている場合もあれば曖昧に薄れていく場合もある。
劇的な変化が自分の身に降りかかったとしても、例え明らかに自認している境界線が引かれていても、どちらも現実には変わりがない。
そういう意味では、旅に出ている自分と帰る場所に居る自分のどちらがより現実的かという問いは意味を成さない。
場所は何処であれ、それぞれに生きている時間の流れの中に、どういう音を鳴らすのか、どんな色を落とすのか、能動的あるいは受動的に。
その流れが出来るだけ濁らないように、そして流れの最後にはまた静寂と澄んだ透明に帰るように心の奥を流れる水脈を感じていれば、どんな現実も自分の中に取り込めるような気がしてくる。

最後の夜は、ホテル近くのレストランで食事し、旅の終わりに乾杯した。
素敵な現実を、ありがとうホイアン。
この旅の最後を、愚生の書いた「彼の島」という曲の歌詞から抜粋して結びたいと思う。

”なるべくここが何処なのか
分からないようにふわふわ歩く
終わっちゃいないのに懐かしい
そんな旅にまた出会えるように

遠くなる
昨日までの出来事
近くなる
それが未来への証明”

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「最後んサイゴンビール」

7日目終了。
ホイアン紀行(完)


テーマ:音楽のある生活 - ジャンル:音楽

旅なんです | 09:52:07 | コメント(0)
ホイアン紀行文(6日目)
起床。
少しずつ涼しくなってきた。
 
ホテル近くの食堂を覗いていると、片言の日本語で店員のおばちゃんに声を掛けられた。
「ワタシハスコシダケニホンゴガデキマスヨ。ベジタリアンヌードルガアリマスヨ。」
その独特の調子に誘われるがまま店内に入り、フォーを注文。
パクチー&バジルが沢山乗って出てきた。
朝からでも、スッと食べられる。
店を出る時、おばちゃんに「ドウモアリガトウゴザイマシタ。」と声をかけられ、お辞儀をされる。
日本のことをとても親しく思っているのが感じられた。
もしかしたら顔も日本人に近いので、血が入っているのかな。
ホイアンはベトナム戦争で南軍側(アメリカ軍側)の境界に入っていたから、アメリカを支援した日本に対してそういう意味でも親和的なのだろうか。
北に行くとまた違うのかもしれないが、以前ハノイに行った際はそういう日本人だから何だという空気は特段感じられなかったが気付かなかっただけかもしれない。
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「親日的食堂」 
ホテルに戻り一息ついた後、この間行ったアンバンビーチへまた行こうという事で、タクシーを拾い向かった。
 
ビーチに着くと、今日もほどほどに人が居る。
この間のドリンクオーダーを取りに来たおじさんが覚えていてくれて「帰ってきたな、こん畜生、愛してる」という感じで挨拶してくれた。
前回座った長椅子に陣取り、海に入りたくてしょうがないアラサーのバンドメンバーが着替えもそこそこに、砂浜を海面目掛けて走っていくのを寝そべりながら見送る。
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「写真で見ると曇りがちで寒々しいが、もちろん暑い」
隣にはオーストラリアから来たおばさん達2人が観光客相手の土産物売りのおばさんと話している。
土産物売りのおばさんは、「わたしには子供が2人居て、おまけに上の息子は進学するのにお金がかかる。こうしている今も息子は汗見たらして苦学しているのです。そして今わたしはこうして貝殻のブレスレットなどを売って学費代を稼いでいるのです。そして今あなた達は?遠い国からたくさんのお金とエネルギーを贅沢きわまりなく使い、ここでバカンスを楽しんでいるのですね。さて、そんな私がつくるこの貝殻のブレスレットを買うことを承諾して頂けますね?」といった感じで訴えている。
それを聞いた一人の優しいおばさんは、笑顔でいくつかの物を購入している。
もう一人のおばさんは断固として買わないという態度を示し「NO!!!」と強い調子で言っている。
その断固おばさんと土産物売りのおばさんでやや口論ような雰囲気になった。
大体このようなやり取りである。
「あたいは人や仕事や時間や契約や制度に拘束された奴隷的バビロンシステムから辛うじて数日脱してきたモラトリアム人間なんや。だからやり繰りしたお金でバカンスに来て楽しむ権利はあるし、同情はするけどあなたは私に同情出来ないし、だから買うて買うて言われても必要ないものは買いたくないんや!」という意見に対し、「人でなし!金あるんやろ!買わなきゃあんたの性格最悪や!」
会話もヒートアップして、関西弁も出てきそうなくらい人間味溢れる激情的応酬が繰り返される。
結局分かり合えないままお互いプンプンして別れた。
そのすぐ後、モラトリアムおばさんの携帯にどうやら仕事上のトラブルが発生したらしき電話がかかってきた。
しかめ面でビキニのまま電話口に「あーしろ!こーしろ!こっちは今ベトナム!わたしは今ビキニ!黒い!紐!」と指示及び状況報告をして電話を切ると、「さて、わたしは今モラトリアムなんや!」といわんばかりに急に奇声のような大声で笑い始めた。
きっと我らのような先進国というところで暮らす人間には、時には開放的な別世界で狂ったように笑って保たなければならない精神のバランスというものがあるのだろう。
事の一部始終を、若かりし頃ボブディランに憧れて買ったレイバン・ウェイファーラーのサングラスごしにこっそり見聞きしながら、眠りに落ちた。
 
目を覚ますと、アラサーのバンドメンバーが波の高さに怖気づいて早々に引き返して来ていた。
自然の偉大さに感動し屈服し満足したようであったので、アコースティックからエレクトリックへの変革期に差し掛かった時期のボブディランを意識しつつ、海を切り上げて街へ引き返した。
 
昼は一昨日来たヴィーガンレストランで、ブッダボウル(レタスやトマトやココナッツ、ファラフェル、ライスなどがワンプレートになっており混ぜて食べると美味)を食べる。
ブッダボウルとは有難い名前の食べ物であるが、名称の由来を後日調べてみると、ボウルに盛られた食材やご飯がふっくらとした仏陀のお腹のようだからということらしい。
仏陀のお腹。
ちなみに、テラス席がある庭では鶏が放し飼い(というか開け放たれている鶏小屋から勝手にやってくる)されており、食べこぼして地面に落ちた食べかすを鶏が突っついてお掃除してくれるというハイテクなシステムが導入されていた。
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「ブッダボウル、仏陀のお腹として見るとややグロテスクに見えてこなくもない」
食後にふらふら街を歩いていると果物売りのおばさんがやってきて、持っていた行商用の天秤をアラサーのバンドメンバーが担がされた。
1mくらいの長い棒の両端に大きなざるがついている。
写真などを撮って興じていると、ビニール袋に何やら赤い果物を入れて渡してきたので、まあここは遊ばせてもらったという事で購入。
スマホで調べるとマンゴスチンという果物であり、とても美味しかった。
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「ハワイに行くと急にオウムを肩に乗せられ写真を撮られたのち、高額なマネーを請求されるという詐欺が昔あった気がするが、購入したマンゴスチンは相場より高いとはいえ500円くらいだった」
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「街歩きで見かけた服屋、KFCならぬKJU、当国で売れば銃殺ものである」
 
やがて夜も更けて、いつものにぎやかな街である。
昨日のランタン祭りと今日の朝は、心なしか車やバイクのクラクションが少なかったが、まる一日たった今晩はまたいつもの喧騒である。
祭りの前後は意識的に静かな夜を迎えようという心が地元の人達にあるのだろうか。
何度か来ているレストランでビールを飲み、何度か通っている道を歩いて帰り、ホテルのロビーでタイガービールを買って、部屋で飲んで布団に潜り込んだ。
この街にも大分馴染んできた。
眠りに入りながら、昼間のビーチの出来事を思い出す。
迷いなく笑顔でブレスレットを買ったおばさんは、やっぱり心の迷いがない素敵な人なんだろうなと思ったりした。
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「河口の夕べ」
6日目終了である。


テーマ:海外旅行 - ジャンル:旅行

旅なんです | 10:11:59 | コメント(0)
ホイアン紀行文(5日目)
目が覚めると、清掃車が懐かしい雰囲気のメロディーを流しながら前の通りを走っていく。
起き抜けにマイクを持ち出して音を収録。
さて、一仕事終えたら例の如く朝マックならぬ朝バインミーである。

フラフラと20分ほど歩き、お店に到着。
バインミーとフルーツジュースを注文する。
ちなみにバインミーの値段はお店にもよるが、屋台で食べるなら150円ほど、観光客向けのレストランであってもせいぜい400円くらいのもので、リーズナブルである。
この店は小さい鉢に入ったチリソースがついてきて、好きなだけかけることができる。
お店によって辛さの差はあるが、日本人でもそれほど辛くないレベルだ。
毎日食べ歩いたり音を録ってばかりで、観光客らしいスポットに行っていなかったので「今日は一日観光でもしましょうか」ということになった。

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「食べながら後ろの人のバインミーに目を移す人」

ホイアンには日本人橋という、朱印船で貿易を行っていた日本人が16世紀頃に建設した橋がある。
のちに19世紀初頭に再建されたものが現在残っている橋なのだが、目下工事中である。
数年前に来た時には、さほど大きくはないアーチ状の古風なその姿を見ることができたのだが、行ってみると工事建屋に覆われて外からは見えなくなっている。
残念なその姿を見て諦め、ホイアン市内にある複数の観光スポットのうち、5か所に入れるという観光チケットを街角にあった観光案内所で購入する。
ホイアンの人達は顔立ちが日本人に似ていると言われていたりするそうで、実際に歴史的な交流もあることから、我々に好意的な態度を見せてくれることが多いのだが、この観光案内所の女史は不機嫌で甚だ素っ気ない。
面倒臭そうにこちらに無言でチケットを差し出し、一瞥もくれることは無かった。
「人というものは、その日その時その瞬間で善人にも悪人にもなり得るものである。それはいかに山深き秘境に住む世捨て人のような者おいても例外ではない。いわんやこの女史においてはかくの如し。」と孔子あるいは老子っぽい考えを巡らせ己を納得させ、その場を去った。

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「チケットと一緒にもらったパンフレット、随所に不思議な日本語がある」

その後、朱印船貿易時代の陶器の博物館や民族資料館などを回った。
とりわけ面白かったのは、100人程度が入れる劇場での音楽と踊りのショーであった。
円形のステージに急勾配の客席がぐるりと囲んでいる。
そこでホイアンの伝統芸能が30分ほど行われたのだが、見慣れない弦楽器を巧みに操る奏者に合わせてコミカルに舞う踊り子が愉快だった。
あとで調べたら見慣れない弦楽器はダン・バウというもので、竹やココナッツの殻に弦を張って出来ているらしい。
ショーに出演しているのは大体20代~30代くらいの若い奏者や踊り子なのだが、最後のほうで大御所らしき70歳前後のおばちゃんが顔におしろいを塗り目元を赤く化粧して、昔の男性の戦士のような出で立ちで剣を構えて登場し、やや鼻にかかった甲高い声でその剣を振り回しながら舞い始めると、客席が明らかに動揺し始めるのが感じられた。
白人が多かったのだが、この杜子春のような人相と世界観を「どう捉えてよいのか分からないヨ!オーマイガー!!」というように、押し殺した笑いが聞こえる。
もしかしたら、ドラッグクイーンやオカマショーのように映っているのではないかと思った。
少なくとも、おばちゃんは女であり男の恰好をしているだけであり、男が女装しているのではない。
我々は大御所のメンツをかけて「そなたと同じく東アジアの民である我々は、そなたの伝統的な舞を風土的、歴史的、スピ系的に魂の奥より非常に理解しており、まったくもって嘲笑などいたしませんぞ」という感じの厳かかつ尊厳のまなざしで最後まで見届け、会場を出た。

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「劇場近くの旧市街の路地裏」

そんなこんなでふらふらしていると、日も落ちてきた。
今日は1か月に一度のランタン祭りの日である。
祭りに合わせてなのか、通りを走るバイクや車も忙しない。
ランタン祭りは、華やかなイメージとは逆で普段きらびやかな電飾を消し、ろうそくやランタンだけで夜を灯すという行事である。
毎日お祭りのようなホイアン旧市街近辺だが、この日はいつもとは違う静けさや落ち着きが町に流れている。
といっても騒がしいミュージックバーなどは相変わらず騒がしくやっているのだが。

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「街路樹に埋め込まれた祠にお供え物とろうそくの灯り」

一度昼間に来たヴィーガンレストランのテラス席でお酒を飲む。
酔いが回ると、何だか日本から何百キロも離れた異国の町に佇んでいることが不思議であり、心地良くなってくる。
周りに日本語を話す人も居ない。
このままずっとここに住んでしまったらどうだろう、というような事を闇雲に想像してみたり。
しかし、旅というものは現実的でない時間を過ごしながら、やっぱり終わりという現実に向かって少しずつ進んでいくものだ。
いつかは帰る。
でもまだその時ではないから、この無責任な心地良さに浸っていようではないか。
それが旅に出た特権である。

最近、思うことがある。
いつかは現実に戻らない旅に出られないかと。
夢心地のまま、戻ってこなくてもいい旅。
心の奥で、もしかしたら誰もが他人に言えないそんな想いを秘めているんじゃないかなと思いながら、帰路に着いた。
5日目、終了。





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旅なんです | 12:35:05 | コメント(0)
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